東海道線藤枝駅を午前8時20分頃にスタートした僕は、県道225号線を一気に北上し、瀬戸川に架かる「勝草橋」を渡ると、正式名称を「出雲大社北島国造館出雲教藤枝分院」と呼び、出雲大社に祀られている大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)の教えを伝導する目的で、明治15(1882)年に出雲教が出雲大社に創設され、明治22(1889)年に出雲教の分院としてこの地に開設された「出雲大社出雲教藤枝分院」に差し掛かったここの神社に立ち寄って参拝を済ませた僕は、閑静な住宅街と商店街の中を歩き、田中城の祈願寺として田中城の城主を務めてきた太田資直(おおたすけなお)や家老の大半が檀家となっていたため、通称「さむらい寺」と呼ばれており、ここの客殿が徳川幕府の家老を務めてきた田沼意次(たぬまおきつぐ)の居城である「相良城(さがらじょう)」の御殿を移築したものと言われている「大慶寺」へ足を運んださっそく境内の中に入ってみると、本堂の目の前には、日蓮上人ゆかりの「久遠の松」が堂々と聳え立っており、静岡県の天然記念物に指定されていて、日本の松100選にも選ばれた大変素晴らしい松だったのだ