北周滅亡から隋建国まで ドラマ独孤皇后に見る2
四代目 宣帝
559-580 21歳没
后妃
- 楊麗華(皇后、天元皇后、天元大皇后、皇太后、隋の楽平公主)
宇文娥英(楊麗華の女、578年 - 615年) - 楊堅の外孫でもある。宣帝の子女の中で唯一、北周滅亡後の旧皇族に対する粛清を免れ、生き残った
中国北周の宣帝の皇后。後に隋の楽平公主となった。隋の文帝楊堅と皇后独孤伽羅の長女で、隋の煬帝楊広の姉である
李静訓の夭折と宇文娥英の死で宣帝と楊麗華の血筋は途絶えている。
581年2月、禅譲が実行されて隋が建国されると、麗華の憤懣ははなはだしかった。文帝は麗華を譴責することもできず、内々に恥じ入るしかなかった。
586年、楽平公主に封ぜられた。
文帝は麗華を再嫁させようとしたが、麗華は誓って許さず、取りやめられた。
享年は49。煬帝が長安に帰ると、麗華の遺体は定陵に葬られた。
- 朱満月(貴妃、天皇后、天大皇后)
- 陳月儀(徳妃、天左皇后、天中大皇后)
- 元楽尚(貴妃、天右皇后、天右大皇后)
- 尉遅熾繁(長貴妃、天左大皇后)
- 王姫
- 皇甫姫
- 高氏(北斉の第3代皇帝である孝昭帝の孫娘、孝昭帝三男・汝南王高彦理の娘
五代目 静帝 宇文闡
573-581 9歳 没退位後の宇文闡は介国公に封じられたが、
翌月に文帝楊堅により殺害された。