というわけで続きです。
中学に上がってからは勉強にもついていけなくなりました。
それでも普通学級で成績はぎりぎりのところで内申点はかなり悪かったです。
その原因は部活です。
兄のことを知っている先輩にいろいろ聞かれたりしたのをはぐらかしたり、先輩のポジションを実力で勝ち取ったりして風当たりが強くなったのです。
そして部活をやめました。
それが内申点に響いたのです。
小学生の時のいじめの話もですがこのことも親に相談したことはありません。
相談する機会もなければする勇気もなかったです。
このころからは両親に迷惑かけたくないのと恐怖で普段の会話もろくにしていませんでした。
そして受験に成功してしまったのです。
合格できないと言われていた高校2校とも合格、某商業高校情報処理科へ入学することになりました。
この時でさえ両親は喜んでくれませんでした。
合格して当たり前という顔でした。
そして高校時代は1年半一人で過ごしていました。
友達もいない初めての環境、恐怖しかなかったです。
それでも友達ができ、彼氏もでき、それなりに楽しかった時代でした。
それでも私には多汗症という病気もあり、それで実名晒されて誹謗中傷されました。つらかったです。
相変わらず勉強にはついていけませんでしたが資格は取れるものはすべてとりました。
そして卒業して某通信会社の派遣社員になりました。
そこも最初はよかったのですが、とあることを確認するために書類を持っていったら怒鳴られてしまいました。
それがうつになった原因でした。
そこからはひたすら色々な病院に行きました。
その間、親には働けと言われたり、もらってきた精神薬を捨てられたりとひどいことをされました。
そして名古屋の病院で病名の診断がでました。
怖かったけど親と一緒に行きました。
親は信じられないとか、ありえないという反応でした。
認めてくれませんでした。受け入れてくれませんでした。
なので私は入院という道を選び、名古屋で一人暮らしの道を選びました。
入院期間である3か月、親が見舞いに来たことは一度たりともありませんでした。
来たときは一人暮らしをするために説得するときと部屋を借りる契約の時だけ。私とはほとんど話しませんでした。
月10万+携帯代だけは払うと言って帰っていきました。
一人暮らしに必要なものは今の旦那や友達が一緒にそろえてくれました。親は何もしてくれませんでした。
親からはお米の仕送りもありました。そのためだけに電話していましたが苦痛でした。
1年たったころ、親から連絡があり、もうお金は払えないと言われました。なので生活保護を受けることにしました。
その為の書類を親に持っていくと嫌な顔されました。
それでも頭を下げて書いてもらいました。
結婚したら縁を切られました。
理由は親同士のあいさつしなかったから。
ですが旦那のご両親は挨拶するのは違うといい、住宅の関係もあり結婚したのです。
そうしたら電話がかかってきました。
酔っぱらった父親からでした。
内容は勝手に結婚したことに対する怒りと別れて帰って来いという事、そして最後に私のことを世界一かわいい、愛しているということを伝えてきました。
私は泣きました。もっと愛が欲しかったと叫びました。
わかれないと言いました。帰らないと言いました。
そうしたら縁を切ると言われました。
私は本当に愛されていたのか・・・
愛されていたのならこんなことにはならなかったのではないのか。
私の求めている愛とは違ったのか・・・
いまだにいろんなことを思います。
父の言葉が本当だったのか・・・
いまだに整理がつきません。
障害を受け入れてくれない家族、愛しているという言葉、どちらも私には重くのしかかっています。
はい、というわけでいまだに悩んでこんな文章書いてみました。
読みにくくて申し訳ない・・・
何かいい解決策とか感想とかあればコメントしてくださいなー
ではでは