3月11日、午後2時46分。

アタシは仕事中でした。店に居ました。


この日はとても忙しくて、てんやわんや。

実は、この日はみんな朝からおかしかった。


いつもしないミスをしたり、普段ぶつけない様な場所を

ぶつけて痛がったり、何もない場所で転んだり・・・。

『どうしたんだろうね?今日なんかあんのかな?』

なんて笑って言ってたら、まさかの事態・・・。





自分自身の記録のためにこの日のことを書きます。





ランチのピークも過ぎて、片付けやディナーの仕込み中だった。

やること盛りだくさんで、何時にあがれるかなーなんて、

みんなと話しながらせっせと仕事してました。


そして急に強い地震。

体験したことのないような揺れ。

お店には社員1人、アタシ含めパート3人、お客様4組10人。

合計14人がビル2階のお店に居ました。


アタシ達3人と社員はキッチンに居ました。

まずは先にお客様の安全だ!ってことで、

落ち着いてくださいと言う事と、これ以上揺れが大きくなるようなら、

テーブルの下にもぐって下さいと伝えました。


それからアタシはキッチンに戻って水を止めて、ガス栓を閉めた。

そして自動ドアのスイッチを切ってドアを開けておきました。

パート3人で1つのテーブルの下にもぐりました。

そこでとっさに揺れる中ダンナにメール送信。


揺れがおさまらないので、外に非難しようということになり、

4組のお客様のお会計を済ませて、レジと金庫の鍵を持って外へ。


そこで驚いたのが、社員(52歳男)がいない!!!!!

アタシ達よりも、お客様よりも、先に自分だけ外に避難してた!!!!!!

もう、こいつとは仕事したくないって本気で思った・・・。


お店は駅そばなので、あっという間の人だかり。

近くに交番があって、公衆電話もあって、あっという間に長蛇の列。

何分経っても続く余震。交番からの放送。人々のざわつく声。

外で保育園に電話したけど全くつながらず。

子供たちが気になって気になって落ち着かなかった。


しばらくして、店長が出勤してきたので、帰宅させてもらうことに。

お店の中は、食器が落ちて割れたり、フライヤーから油が溢れてたり、

プレハブ冷蔵庫の中は、物が倒れたり落ちたりで悲惨な状態。

片付けに参加できないことをひたすら謝って保育園へ急ぎました。


保育園につくと、子供たちは防災頭巾をかぶって、

ホールでおとなしく列を作って座って待機していました。

先生がウチの子達を駐車場まで連れてきてくれました。


幸い、ウチの子達は泣くこともなく、震えたりすることもなく、

多少怖がってはいたものの、先生の指示をしっかり聞いて、

おとなしく非難できたと聞き一安心。

先生に、本当にありがとうございましたと告げて帰宅。


家の中に入るのがホントに怖かった。

テレビが倒れてるんじゃないかとか、食器棚は大丈夫かとか、

悪いことしか浮かんでこなかった。


けれど、アタシの想像していた悲惨な状態は免れ、

家具は全体的に南側に動いていたけれど、無事。

多少小物が落ちていたけど、大丈夫でした。


ここからは、次にいつ大きい揺れが来てもすぐ動けるように準備。

合間合間でダンナに連絡を取ろうと試みるも全くつながらない。

そして、福島の会津にいる叔母とイトコにも連絡、それもダメ。

川崎にいるアタシの母親と妹にも連絡、ここもダメ。

義母とは夕方連絡が取れ、結局夜にはみんなと連絡取れました。


簡単に食べれる食事を用意して子供たちに食べさせたけど、

ムスメちゃんが、全く笑わない、食べない、離れない。

様子がおかしい。ムスコくんは余震の度にダイニングテーブル下へ避難。

ムスメちゃんに大丈夫だよ、なんて声をかけてくれて頼もしかった。


お風呂に入るのも怖くて、朝でいいやと子供達を寝かしつけ。

そのころやっとダンナと連絡が取れました。

4tトラックに乗って仕事をしてるので、運転中だったらどうしようとか、

もう支店についてて、荷物の山がダンナに落ちてきてたらどうしようとか、

ずっとそんなことばっかり考えてたから、声を聞けてホッとしました。


結局その日は全く眠れず、朝になりました。