SinTongKee【新東記】 シンガポールチキンライス
最近会社のそばに見つけたシンガポール料理店。
こんなところにこんな名店が!!というサプライズなお店。
美味しいのは今のところシンガポールチキンライス(ケチャップライスじゃないやつです)なのですが、
チキンはともかく、チキンの出汁を吸ったジャスミンライスが絶品。
おかわり自由なのでいつも「おかわりしよう!」と意気込んでいくのですが
一人前が結構ボリュームあるので満足しておかわりできずいます。
チキンのつけダレの一つがにんにくしょうがソースで、これまた絶品。
でもその日一日にんにくのゲップが出るのが、うれしい反面仕事に差し支えそうです。
ランチにしては高め(チキンライス:1260円)なのは恵比寿価格でしょうか。
■SinTongKee【新東記】 http://www.sintongkee.jp/lunch/lunch_special.html
初めて公開日当日に映画を見た
2時間半怒涛のように見終えた後、本屋で買った原作を夜通し読んだ。
単にせつなくて哀しくて・・・ではなく、忘れそうになってたなにかを思い出させる作品だった。
サヨナライツカ
どんなに愛されても幸福を信じてはならない
どんなに愛しても決して愛しすぎてはならない
いつかサヨナラがやってきて、コンニチワがやってくる
人はだれもが所詮は独りだ。
だから、人に愛されることを求めるのは愚かだ。
愛した功績のおまけとして、愛された記憶がついてくるかもしれない、と思ったほうがいい。
でも、だれかを愛しているということはきっと、だれかに愛されているということ。
だから人は、どんなになっても、愛することをやめないんだろう。
後悔のない人生なんてないのだけれど、
後悔したのなら、そのときに折り返せばいいのだけれど、
それさえもできず自分を抑えて行き続けるなんて、何の価値があるのか。
その人生のいまに、その先に、何があるというのか。
なんだかモヤモヤした残像を残した作品。でも間違いなく名作。
とりあえず、ミポリンの“トレンディドラマ時代の愛とは違う愛”の表現を見ることができます。素晴らしい。
■サヨナライツカ http://sayo-itsu.com/
- サヨナライツカ (幻冬舎文庫)/辻 仁成
- ¥520
- Amazon.co.jp
“分かりません”という言葉は本当に分からない時のためにとっておこう
中学校のときからPCの授業があったのだけれど、いつも途中で分からなくなって『先生、分かりません~』と手を挙げている子だった。
それがどういうわけか、いまwebを駆使しながら翻弄されながら、お仕事をしている。
元来がそんなだから、どこかアナログなところが抜けなくて、いまだにビデオ予約もできない。あ、DVDか。。
でもそろそろそういっている訳にもいかず、今年はできるだけデジタルに触れているようにしよう!と。
“分かりません”という言葉は、もっと使いたいときがあるから、その他のことは出来るだけ自分で考えてやってみよう。
・・・で、ずっと検討していた電話機を購入。
Docomoからアンドロイドも出て、いよいよたぶん、数年のうちに携帯の主流は完全にこの子たちに切り替わる。
でもその一方で、いまの携帯サイトの利用率も否めなくて、ずっとずーっと悩んでた。
(iPhoneは言ってしまえば携帯でなく小型PCなので、携帯サイトは見れない仕様だそうです。
SIMカードも携帯とは違うものを使用するので基本的には行き来できないのだそう)
“消え行くと分かっているものに、なぜ投資するの?”という素朴な疑問が決意させた。
さてさて、まだ真っ白なiPhone。まずはもにょもにょ触ってみますか。
それにしても、ビッグカメラ行くと危険。
いつの間にか両手が紙袋で塞がってた。。
当たるも八卦当たらぬも八卦
飛行機のるというのに朝寝坊して、起きてから7分で家を飛び出した。私男かも。
雪の舞う福岡で仕事場をハシゴ。
息の合うカメラマンとの仕事はいい。
まるで漫才コンビみたいにフィットする人を二人も見つけた。これは大きい。
広告に求められるものがどんどん変わる昨今、1枚の絵に売り上げが左右される。
トレンドだけでなく、欲するものを理解した上で表現してくれるカメラマンと仕事できるのは本当に嬉しい。
同時に、もう受身ではいけないと感じた。
『あの人が言ったから』と、自分の決定を逃げて納得いかないものを生み出せば後悔するし、
後悔した頃には、次の仕事はもう来ない。世知辛いけれど。
自分の考えは提案して実現していかなければ、人には伝わらない。
やったもん勝ち、守りに走れば負け。広告ってそんな側面もある。
当たっても当たらなくとも(それは困る)、いまはチャレンジさせてもらえる環境に居る。
それならやるしかないな、と。
ほめられることで伸びるとは限らないけれども
“読みたい雑誌が少なくなった”と呟くことが多い中で、海外誌のほかにたまに買うのはGINGER。
読み物が多いこの雑誌は従来のファッション誌とは違う特集を組むので面白い。
元外務省主任分析官で作家の佐藤勝さんが連載する
『“地アタマ”力をつける』はそのいい例で、
これまでファッション誌で哲学について語るページなど存在しなかった。
今号に、
「あなたにほめられるためにがんばる、というような姿勢では、
ほんとうに自立した人間にはなれないと自覚する。」
という、中世哲学について書かれた一文があって、
それについて“なるほど!”と手を叩いていた矢先、思いがけなくほめられてしまって右往左往。
ほめられることで伸びるばかりではなくて、今の自分はそこにおぼれる可能性が高くて怖いのだけれど。
『逃げない』という自分のひとつの信念を貫くこと。
自分が何もできない仕事の中でただひとつ、
できなくても怒られても迷惑をかけてもそれが苦しくても、その現実の自分から逃げずに向き合わなければ
自分さえ何も獲得できないということを感じていた。
それこそ自分の存在価値がないと思った。
その場所で時間を使うのなら、何でもいいから何かをつかむこと。
その経験というのが、何よりの価値になる。
芸能人はハワイ好きって
“芸能人は歯がいのち” にちょっと似てませんか。
・・すいません、お正月に芸能人がこぞってハワイ行く様子みてたらついつい空耳。
でもって、ふとトータス松本さんのブログを読みにいったら
彼もまたハワイに居るようで、勝手にちょっとガッカリ。
いや、なんか、そうじゃないんだよなぁ、と。
ハワイって行く人はいくしそうでない人はそうでない気がする。
でもそこは行ったことないので、実はよく知らない。
色んな場所があるんだろうな。
買い物天国も、絶好のサーフスポットも、自然の火山も、みんなハワイなんだもんな。
そして多分、羨ましくてつぶやいてるだけ。
明日も明後日も、オンナノコが幸せであるために
年末年始に撮った写真が結構あるのですが、実家にケーブル忘れてきた。
今年はこういうもったいないの、やめたいなぁ。
年賀状をたくさん頂いて(まだお返事していない、ごめんなさい)、
ウェディングドレス姿の写真で結婚の報告もちらほら。
出席したものもあればそうでないのもあって、そうでない場合はとりあえず電話。
年賀状って、こういうのがいいね。
メールでの挨拶は簡単だけど、メールで終わりがち。
『ちょっと~年賀状みたよ~!』って電話はできない。
海外で挙式した理由とかその内容とか、聞いてるこっちまで笑顔になりながら教えてもらった。
理想と現実との間で、考え思いをめぐらせたのが分かって、複雑な胸中が見え隠れする。
でもこういうカップル、今後もっと多くなるんだろうな。
特に、男女の結婚式に対する考え方は大概異なるもので、お互い理解するのは難しい。
オンナノコにとって、形は違えど結婚式に対する思い入れは大きいもの。
その一日の思い出は一生記憶の奥に留まって、ことある毎に思い返すといっても過言ではない。
楽しいばかりではない結婚生活の中で、自分を納得させる理由にするときもあるかもしれない。
それくらい、その一日の思い出は大きくて大切なものとなる。
逆に言えば、その思い出がこの上なく素晴らしければあとの一生は結構いい感じで過ごせるのかも、なんて。
一生に一度、この上なく幸せで大切な日だからこそ、その一日をどう過ごすのか、ということと同じく
その日までをどう過ごすのか、その日の後をどう過ごすのか、ということが大切だ。
オンナノコをもっともっと幸せにしてあげたい。そのために、私にもできることがある。
私が今年一年頑張るテーマは、これだな。
2010
あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いいたします。
年末はだいたい紅白と、その後の“ゆく年くる年”見ながらすごすのだけど、
大体後半寝てしまって、はっと起きて近所の神社に行くと既に誰も居なくなっていて、
焚き火も消えそうになって新年早々寂しいので、今年こそは!と張り切ってみた。
初めて太鼓が鳴り響くなか並んで御参りして、あったかい豚汁いただいて、お土産まで。
炎も赤々と燃え上がっていた。
一年の計は元旦というのだから、今年はちゃんと計画的な年になるかしら。
大義を成すならちゃんとスケジュール引いて、着実に、慎重に。
でなければいつまで経ってもここに居てしまう。
坂の上の雲を生きる国、上海
仕事納めも早々に、今世界で最もエキサイティングといわれる街、上海へ。
これまで抱いていた中国のイメージを良い意味で裏切られた4日間だった。
街全体が明るい未来を疑わず、すべてが空に向かっていた。
そこは今、まさに“坂の上の雲”だった。
海外に出るといつも思うことだけれど、日本人であることはそれだけで価値だ。
たとえばそれは容姿であったりセンスであったりするのだけれど、
特にアジアにおいては、先人たちが培ってくれた日本の立ち位置があって
単に日本人であるだけで憧れの念を抱かれることが多い。
“なぜ日本人なのに英語がしゃべれないの?”
“なぜ日本人なのに髪を染めるの?”なんて言われるのがいい例。
この強みを活かさない手はないのだけれど、その価値を日本人自身が知らない場合がよくあって、
それは教育のせいではないかと思うのです。
日本ではどちらかというと教育課程において海外を見せることが少ない。
日本史・世界史は選択制だったし、語学も基本は英語のみだった。
留学とかホームステイとかも、普通の学生だとどちらかというと縁遠い。
もっと身近に海外があったら。
日本にいま一番必要なのは、世界の中の日本を見つめる教育だ。
この人種と、土地と、持っている技術を何とおいてどう使うのか、
少ない人口が生き延びるためには頭を使って考えなくては。
あっという間に、10倍の人数に追い越されてしまうだろう。






























