こんにちは。
四柱推命鑑定士のあさりですウインク

今回は少し真面目な話。



故人を偲ぶ方法を色々考えます。
父が亡くなった後
お線香を毎日、好きなビールやメロンをお供え

本当にちゃんと届いてるかな、
パパは喜んでるかな、もっとほしいものあるかな

相手の声が聞こえない(聞こえてたまるか成仏して生まれ変わっててくれとも思う)から
何を望んでいるのだろう、何を考えていたのだろう


私の父はちらほら書いていますが
仕事一筋、って感じの人です。
ただ、エリートコースというよりは
波瀾万丈コースで母に苦労を沢山かけてきました。(子どもにもな!笑)

父の印象は
実は優しい、寡黙、頑固、
ギャンブラー、酒好き、女好き

(あれ、どんどん悪い方向に、、?)

見た目はや◯ざのボスみたい笑い泣き
とにかくたっぱもあり、座ってるだけでも威圧感、迫力すごい。

私の元彼は父を見るだけで逃げ出したり、
甥っ子はおしっこちびってた。笑

毎日浴びるように酒を飲み、
私が物心ついた時から、父の体は色んなところが悪かった。
しかし!
入院しても次の日に勝手に退院してきたり
(お見舞い行こうと思ったら家にいた)

いよいよやばいぞ!っていう
私が小5の時に母の腎臓を父に移植し復活びっくり

何度危篤を体験したか。
危篤のたび泣く家族に
何泣いとんじゃあ!と復活。
死の淵からの復活劇はお決まりでした。
もう無敵なんじゃないかと思っていました。

そんな父は私が25歳の時に亡くなりました。


正直亡くなった時、実感は何もなく
なんとなく少しホッとした気分にも。


そんな父は日本人じゃありません。
父の幼少期はまだ外国人差別が活発にあり、
今のような生活ではなかったみたい。
兄弟も多く家族でど貧乏、
小学生からバイトをして家庭の足しにしてて、
学校に通っても差別を先生からも受けてたと。

愛情不足だっただろうなと思います。

そんなこともあってか、
子どもへの接し方が下手くそでした。

三姉妹の末っ子のわたしのことを
よく可愛がってたと思います。
よしよしとか褒めるとかそんなんはされたことないけど、大切にされてるのはわかりました。
面と向かって語り合ったりはしたことない。
幼少期の話も母から聞きました。

なので父のことはよくわからん!
ってのが多いんです笑い泣き




そこで!
父の四柱推命をしてみましたら
ぼろぼろ涙が出てきました。


幼少期。
本来愛情を注がれて当たり前の場所には
自立心、頑張らなきゃ
支えるぞ、養うぞ

っていうのがたくさん。

そしてその後は
職人気質のような気難しさ、頑固さにつながり

女好きの星もあり笑


ただ、子ども好きの星もありました笑い泣き笑い泣き笑い泣き


故人を偲ぶ方法としましたが
救われたのは見たわたしかもしれない

父の生き様は一緒に過ごして見てきたつもり。
たくさん苦労もしてきたのをしってるけど
一つずつ鑑定していくと、
父の生き様に照らし合わせると、
思うことがたくさん。


パパ頑張ったねえ、
おつかれさまだねえ、

いつも、自分の欲しか大切にしてない
っておもってたけど違ったね。
私たち家族に贅沢をさせてあげたい、
自分のような思いをしてほしくないって
考えてくれてたんよね。

パパがいたから私たちの今がある
どんだけお金がないときも
食べ物だけは不自由させなかったし、
妥協もしなかったね。
美味しいものをたくさん食べさせてくれて
ほんとうにありがとう。
パパの中の1番の贅沢は、一流の食事を
食べさせることやったね。
その通り、美味しいものしか食べなかったわたしは
今とてもグルメ女になってるよ。笑

子どもたちともっと話したかったでしょ?
でも接し方がわからんかったよね。
女ばっかやったしね、話題にもついていけへんかったやろ。
本当は寡黙じゃないな、おしゃべりや。笑
ママとはいっぱい喋ってたもんね。
さすがやっぱりビビりじゃない、
だから亡くなる時もわかってたんじゃない?
わざと遠ざけてたんかな?
たった1人でなくなったけど
自分の行動に後悔なんてするタイプじゃない。
受け入れ良好すぎる、良いメンタルの持ち主。
何泣いとんじゃあ!って言ってんやろ真顔


心配もなにもしてないとおもうけど
早く生まれ変わりや。
ママに苦労かけたぶん、泣かせた分
悪いことした分、修行かなんか積んで
早く生まれ変わっといでね。
私の子どもとかはいややけど真顔








こうやって、四柱推命は生年月日があれば
相手のこともよくわかる。

もし、亡くなられた方をぽっと思い出した時
偲ぶ方法のひとつとして
思い出していただければとも思います。