アナウンサーになって10年目。

奇跡の連続であることに、
感謝の気持ちでいっぱいだ。

小学校1年生のとき、
「そのみはアナウンサーになったら
いいんじゃないか?」という祖父の
一言が私の人生を決めてしまった。

たくさんいる従兄弟の中で、
なんだか自分だけ褒められて
選ばれた気がした。

でも、なかなか就職先が
決まらなかった私に、
「アナウンサーなんて、夢みたいな
こと言ってるんじゃない!」と、
父は厳しい言葉を投げ付けた。

それでも、夢を叶えたい一心で、
私は、アナウンサーにこだわり、
受け続けた。
その数、60社以上。

そしてようやく内定をもらえたのが、
地元のFM局だった。

実は、その年は採用がなかった。
それでも...と思い、勝手に履歴書を
出してみると、当たり前のように、
不採用の通知が届く。
しかし、アナウンサーの方が急遽、
寿退社することになり、履歴書を
出しておいたおかげで、
面接を受けることが出来た。

奇跡というか、
棚から牡丹餅というか、
人生、どこにチャンスが転がってるか
わからないものだな、と実感した
瞬間だった。

4年10ヶ月勤め、退職。
どうしても、映像がある中での
喋りの勉強をしたかった。

でも、ラジオで育った私には、
テレビのオーディションは、
「超」がつくほど難しすぎた。

映像を活かす言葉が
口から出てこない。
それどころか、カメラのどこを
見て喋っていいのか
全くわからない。
マネキンのようだった。

テレビ局の採用も、
番組のオーディションも落ち続け、
4月からフリーターだと覚悟した時、
静岡のテレビ局で
お天気キャスターが決まった。

山梨にいたとき、気象予報士の
資格を取るために週1回東京に出て、
勉強していた。
※注意→取れませんでした(笑)
こんなところで活かすチャンスを
頂けるなんて!!

新しい発見ばかりの1年だったけど、
自分の心に1つ確信が持てた。

「私は、ラジオが好きだ!」

そんな時に出たTOKYOFMの採用。
運命だと思った。
絶対に受けたい。
今度こそ、
という想いが背中を押した。

実は3度目の挑戦だった。
現役の就活時代、地元の局にいた
時も採用があり受けたのだが、
書類で落ちてしまい、
声すら聞いてもらえなかった。

最終面接は、
力が入り過ぎて
ボロボロ。
静岡に戻る新幹線のホームで
人目を気にせず大泣きをしたのを
今でもはっきり憶えている。

でもなぜかかかってきた電話。
「採用です。」

奇跡としかいいようがなかった。



そんな会社を3月いっぱいで
退職した。

悩みに悩んで出した決断。
人生、思い通りにはいかない。
私は奇跡のおかげで
ここまでやってこれたと思っている。

でも、
この奇跡が一生続くわけがない。

だからこそ、チャンスがきたとき、
そのチャンスをしっかり掴み取る力を
つけていかなければ。

もちろん、奇跡だけではなくて、
たくさんの方々の支えがあったから
10年目を迎えることができた。

その感謝の気持ちを
しっかり感じながら
マイクの前に座りたい。

JOGLISを続けられる喜び、
地元の局に4年ぶりに復帰する有難さ。

私は幸せ者だ。

笑顔は緊張をほぐし、
人を幸せにする。

笑顔の声で、
人を幸せにしていきたいな。

奇跡ではなく、自分の力で。

おっきなことは出来ないけど、
たくさんの笑顔に包まれていたい。

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