「泉鏡花の夜叉ケ池」の感想。

あらすじばかりで説明的だったなぁと我ながら

イヤになりました…。気持ちばかり先走っている。


素ネオ歌舞伎を謳い、必要最小限の舞台装置でありながら前半は、山沢学円(桂憲一)と百合(武市佳久)と萩原晃(小林大介)の台詞が美しくかつ生き生きと鏡花の世界を描いていました。改めて戯曲を読んでみると、後半のアレンジは、軽快で上品なのだけどその踊り、その歌がきちんと物語の芯を捉えていた気がします。

今さらながらこう書いて、舞台となった北陸地方の被災地を思います。


新年早々に地震にみまわれたのは、正に鏡花の故郷、

石川県の能登半島でした。「夜叉ケ池」の舞台となった福井県も隣接しています。大詰の洪水の描写は、津波を連想し、今このタイミングで感想を書くこともないのではとも思いました。


被災された方々が寒さの中、大変な思いをされていることを思うと心も痛みます。募金に協力するぐらいしかできることもありません。


芝居の中では旱で村人の生活が危うくなっていました。異常気象という意味では近年の地球温暖化にも繋がっていきます。


全世界的には温暖化による干ばつや洪水で幼い命さえ奪われるような事態が今この時も起きています。また、ウクライナ、パレスチナと戦争も終わりません。


地震のことにとどまらず、この世界は地球はどうなってしまうのだろう、自分に何かできることはないのだろうか、あまりにも大きく及びもつかないものが人間の世界にも自然界にもあって、呑気に拙い記録など書いている場合ではないのかもしれません。


そんな時、年頭に映画「PERFECT DAYS 」を見ました。今日きれいに掃除しても明日にはまた汚されてさしまう公衆トイレを磨く平山(役所広司)を見ていたら

自分の日常も形は違えど本質は同じような気がしました。多くを所有しようとしてはいけないけれど、自分のできる営みをやめてはいけない。映画の終盤で余命宣告を受けた男(三浦友一)と平山は、影ふみを通じて心を通わせます。一つだけでなく重なると影ってもっと黒くなるんでしょうかね?との問いかけに平山は、ほら見て下さいよ、濃くなっていませんか?と男に言う。そのことでほんの一時、或いは一瞬何かが変わる、それだけでいいのではないかと思いました。翌朝、この出逢いを反芻しながら車で仕事に向かう平山の表情が全てを物語っていました。


やめてしまってはいけない。とにかく日々を何かきっかけをくれた芝居や映画や美術や音楽、何を受け取りどこに向かうのか、考えながらやはり書くことはやめないで行こうと思いました。


少しでも何か穏やかなものに向かって、様々なことを知り、少しでも良い方向に歩いて行こう。

今は今、今度は今度、平山が姪のニコに語った言葉を思いつつ。慎重によく考え見ていこう人の営みをと思いました。