生誕150年の泉鏡花の「天守物語」(歌舞伎座第三部)で始まった12月。2023年(令和5年)の芝居納めも、花組芝居「泉鏡花の夜叉ケ池 素ネオ歌舞伎」を久しぶりの二子玉川セーヌ・フルリ(花組芝居の稽古場で地下一階の広いスペース)で観ました。二子玉のショッピングモールを抜け楽天本社やタワマンを抜けた住宅地にあるので、コロナ禍の間ここでの公演はしばらく出来なかったとのこと。
稽古場に降りると中は、中央に四角い舞台があり、その天井近くに黒い鐘が吊るされ鐘楼の体。それを囲む形で三方に2列の客席、観客の入る出入口から役者たちは登場。壁には過去の公演の写真が一面に貼られていました。
今回で5回目(なのかな?)の「夜叉ケ池」ですが、私は初めて。素ネオ歌舞伎と謳っているので、白塗りはなく、いつもの紋付き袴か役柄の衣裳。

お話は、諸国を旅する学者・山沢学円(桂憲一)が、暮六つの鐘を聞き、夜叉ケ池の近く越前大野の鹿見村琴弾谷の鐘楼にやって来る暑い夏の夕暮れから始まる。周囲の小川の水で喉を潤しているところで、百合(武市佳久)という美しい女に出会う。実は彼女は、亡くなった鐘楼守に代わりの鐘撞夫の妻だった。そしてその鐘楼守こそ、学円が探しついた行方不明の友人、萩原晃(小林大介)だった。二人は明け六、暮六つ、丑三つ時の日に三度だけ鐘をつく掟を破れば、夜叉ケ池の竜神の威力により村はたちまち水の底に沈むとの言い伝えを信じ鐘を撞き続けていた。

ここまでは、越前の山中に鏡花独特の美しい言葉が散りばめられた台詞劇。百合の武市さん、鏡花言葉の台詞も巧みに清楚で好演。

さて夜叉ケ池に興味を持つ学円と晃が池に向かう頃、夜叉ケ池の主、白雪姫(加納幸和)は、湯尾峠の万年姥(山下禎啓)や鯉七(押田健史)ら眷属(妖怪たち)が止めるのだが、白山剣ヶ峰千蛇ヶ池の御方のもとへ行くのだと聞かない。そこへ麓の村で百合が人形に唄う子守唄が聞こえて来ると、鐘守夫婦、百合を水の中に沈めるわけには行かないから、手紙を送って静まろうと思い直す。

この白雪姫と妖怪たちの件は、被り物あり唄あり踊りありの花組ならではの展開。特に白雪姫の加納さんが、道成寺の乱拍子を舞うところがあり、素に銀の鱗模様の着物姿の舞いは見せ場でした。

一方、村では叔父で神主の宅膳(北沢洋)らが干ばつのための雨乞いのいけにえにと、百合に迫る。そこへ、百合の子守唄を聞き胸騒ぎがして戻ってきた晃が現れ、雨がほしいなら鐘を撞くのは止め出て行くから、百合を返せと村人たちに迫るのですが、雨乞いのいけにえにすることを譲らず、そんな中百合は自ら命を絶ち、星を見れば丑満時。追ってきた学円も晃も鐘は撞くまいと、鎌で瞠と撞木を切り落とす、その途端、凄まじい鳴動と共に洪水が押し寄せるのだった…。

大詰めも歌あり、激しい立回りあり。客席近くでの白熱した演技は、見ごたえがありました。最後は、白雪姫の一行が、「新たな鐘ヶ淵は晃と百合の住まい」ということなのか去って行くのを学円が見送って終わり、だったかな。

途中、劇中で記念写真を撮ってみたり、鹿見の子守唄を観客と歌うところがあったり、前列の観客を踊りに誘ったりなんていうのもあって、花組らしい遊び心で芝居納めに相応しい趣向と思えました。年末だからね。