仁左衛門の「仮名手本忠臣蔵」で始まり、仁左衛門と梅玉が顔を揃え、いつもの九團次、右團次に、門之助、男女蔵、男寅、幸四郎(たぶん鬼でいないのかなぁと思った)に代わり染五郎と錦吾が高麗屋から顔を連ねる「口上」、そして團十郎の「助六」で終わるという豪華な夜の部でした。楽の口上で、新團十郎が珍しく代々のような團十郎になれるのだろうかという不安もあると言ったのが印象に残りました。16日に観た時はそういう言い方はしなかった気がしたので。(て間違いかもしれませんが。)

さて、「仮名手本忠臣蔵祇園一力茶屋の場」

由良之助→仁左衛門

平右衛門→芝翫

おかる→孝太郎

の組み合わせは、令和元年に続き二度目の馴染みの配役。この演目も福助のおかるで好きになり、思えば最初の頃は平右衛門とおかるのやり取り、あの「互いに見交わす顔と顔。それからじゃら、じゃらじゃつき出して身請の相談。…」からの「おお、読めた❗」をただただ楽しみ、この兄妹の愛らしさをいいなぁと思って見ているだけの私だった気がします。(笑)


仁左衛門の由良之助も4回は見ているはずですが、何だか未だに初心者レベルの理解。でも今回主君の敵を討とうとしているのに、寝返った者(九太夫)を絶対に許せない由良之助の思い、平右衛門やおかるのように仇討ちのために浪士やその家族たちがどんな思いをしているのかを強く心の中に秘めている性根など、念には念を入れるかのように演じている仁左衛門が印象的でした。


本当に仇討ちする本心はないかと探っている九太夫に

酔っておちゃらけている由良之助が手拭いをかけた柄杓から「ばー」と驚かす凄みに潜む本音とか、「手を出して足をいただく蛸肴」の蛸を口に含むようにしての一瞬の許せないみたいな思い入れとか、細部にまで九太夫を許せない気持ちが表現されでも加減は適度。

また、おかるに対しても「請けだされるがそれほどまでに嬉しいか」で扇で隠し顔をそむけての思い入れ。可哀想だか大事のためにはという気持ちをあざやかに示す。そして最終的には九太夫に向けての「やぁ獅子身中の虫とはおのれがこと…」の凄まじい怒りへ集約されていきます。

仁左衛門の芸は、役の性根を鮮やかにきっちりと表現し、まるで一つ一つの表現が職人技のように磨かれて鮮やかに由良之助という人物がそこに存在している感じ。しかもとっても魅力的。カッコいい…。この仁左衛門を観られる幸せこそが顔見世なんだと思ってしまいます。

この由良之助に対して、芝翫の平右衛門は安定した機嫌のいい奴。孝太郎のおかるは、女房の性根で廓にあっても素朴で可愛らしさを残し。錦吾の九太夫は安定した演技で仁左衛門をもり立てます。

三人侍では、隼人の成長ぶり。染五郎はすっかり若侍らしくなりました。前回の南座では力弥が千之助でしたが、今回は莟玉。声が通り若者らしい初々しさ。

やはり七段目が出ると南座顔見世は、俄然華やぎあー歌舞伎を観たなぁという気持ちになりました。






楽の遠征では、ホテルに戻ってもテレビで七段目を観られるというお腹一杯の幸せな一日でした。