久しぶりの書き下ろし長編についてとりとめもなく
感想文。(笑)
順番は
「街と、その不確かな壁」
 ↓
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」
 ↓
「街とその不確かな壁」
とのこと。

「街とその不確かな壁」を読み、記憶の中でだいぶ彼方に行っていた「世界の終わりと…」を本棚の奥から引っ張り出してみましたが、チラチラと眺めただけで止まっています。読み直す意味ある?

川上未映子「夏物語」を読んだ時にも思ったのですが、以前の小説を作家が書き直す意味って何なのだろう…夏物語の一部は「乳と卵」との違いが分からなかった。

さて今回の村上春樹は、ほぼ「世界の終わりと…」の記憶が飛んでいたので、それなりに面白いとは思いましたが、二つの世界を往き来する展開、何より壁に囲まれた街の構造はまさに「村上ワールド」の原点という感じ。

静謐な空間、街をおおう閉塞感、影を失った住人、死んでゆく一角獣、針のない時計等々。やはり「終わり」の世界。そこは、「私」が作り出した世界だから「私」はそこに行かなくてはならないのか、わたくしはあの街、行きたくないなぁと思った。

それに比べると第二部の会津若松の先にあるというZ***町はずっと魅力的。酒蔵を改造した個人図書館、町の人々の生活に寄り添う図書館。
そこで第2の人生を静かに生きる私。

私を見守る既に死んでいる子易さんの人物像も魅力的、ベレー帽にチェックのスカート、黒いタイツ、白く薄手のテニスジューズ…時おり現れては彼が語ることもいい。

第2部の後半に登場する、サヴァン症候群と呼ばれる特異な自閉症の少年のこと。彼は街へ行きたいと望み、酒蔵の図書館の街から壁の街へ消える。彼には、街にとどまるしかなかったんだろうか…というのが気になった。

一方で、私はもう迷うことなく街を去る
どこまでも柔らかな闇へのダイブ、なのだ。
私は、また酒蔵の図書館の館長になるのか、それとも?

17歳のぼくと16歳のミステリアスな彼女の原像。
時を経ても私はその世界の磁場から自由ではない、ような気がしてしまう。さりとて閉塞感に覆われているだけでもない。

落下を受けとめる存在を信じることは、子易さんが発信し、「イエロー・サブマリンの少年」が受けとめ、私に伝える。

二人の間にいて、「私」は何もしないような気がしてしまう。それでいいのかしら?最後は少々戸惑った。
文体は38年前とは違う、ある穏やかさがあると思いました。


そして、全く関係ないことですが、先日の映画。
ジェーンとシャルロットの母娘は、そんなに悪い関係ではないが、お互いに距離感があったよう、、。
また、ジェーン・バーキンにとって子どもを喪う悲しみは決して癒えなかったのだと思う。