ブログの最初の投稿から

もうすぐ1年が経とうとしてます。

1年前と随分状況が変わりました。

 

ブログタイトル

「30歳ギリホリノマドになるまでの道」

ちゃんとね、ノマドなりましたよ。

 

このタイトルをつけたときは

「そんなこと言っちゃって、もしなれなかったら...」とか不安でしたが、言うてみるもんですね。

 

パースから車で5時間。

片田舎ペンバートンで開いた

日本食レストラン「しらかば」

最初はシェフ、マネージャー、ウェイトレスの3人で始めて。その後シェフが帰り、マネージャーも帰り、

最終月はウェイトレス2人で

シェフとマネージャーとウェイトレスをやりました。

 

たくさんの選択肢がありました。

多分スポンサービザがもらえる状況で

このまま2人でレストランを続けるか、

新しいメンバーを入れて引き継ぐか、

レストランを閉店して別のシティに行くか。

いっそアジア周遊するか。

 

でも今、日本はゴールデンウィークで家族がみんな集まってて、

ほんでそもそもオーストラリアでこれ以上やりたいことあるか?

 

シドニーでコアラやワラビーの保護ボランティアをし、

ボンダイビーチ支店のローカルカフェBillsで働き、

ハーバーブリッジとオペラハウスが見える1億の家に住み

パースで金持ちファミリー3人の男の子のオーペアをし

兄弟3人でウルル、メルボルンに行き、

ペンバートンでまさかのジャパレス運営。

いやいや、もう十分やり切ったろうよ。もうええわ!と思って

速攻日本帰国のチケット取りました(帰国2週間前)

 

2ヶ月前にはまだオーストラリアいたんだなと思うと変な感じです。

ジャパレス運営しながらの日本語教師Wワークは正直めちゃしんどかったですが

必死の努力のおかげで、動物の保護施設で動物用のフルーツ食べてたヒモじいやつが

実家でも、近所のカフェでも友達が住んでる場所に行っても電波のあるかぎり、どこでも働けるようになりました。

 

自分が行きたい場所に行ける、

生きたい場所で生きれるのはもちろん、

今回帰国して、いろんな人に会ってまたひとつ

いいなと思えたのは


大好きな人たちが自分たちの夢に向かってることを助けられること


お店を開こうとしてる友達に「宿とwifiさえあれば手伝いに行くよ!」

新しくメイクのレッスン受けてる友達に「いつでもメイクモデルなるよ!」て言える。

それが何より嬉しくて誇らしい!

 

オーストラリアにいる時から話を聞いてくれていた

1億円の負債を返済した投資家の人が言ってくれた言葉を思い出します

「みんながまずは自分の夢や目標を叶えて、

今度は誰かのためにという循環をつくれたらみんなハッピーだなと思ってます」

 

まずは自分を満たす。大事!!!

 

フィジー3ヶ月、オーストラリア1年半。

海外生活1年9ヶ月。

たっくさん迷って、日々決断して、行動して

いろんな人に助けてもらいました。

名前をあげるとキリがないので感謝は各個人に念で送ります。

受け取ってください。

 

私のワーホリは最初の半年、ほんとに辛くて

楽しいことに目を向けられなくて、

8:2で、辛い:楽しいでした。


でも辛いながらも、もがいて、

どうにか幸せになりたくて。

半年もがいた甲斐があって、多分色々耐性もついて笑

今なら「ワーホリ、楽しかったなあ」と言えます。

 

頑張れたのは

これを読んでくれてるあなたのおかげです。

 

くれた一言、いいねに

見守ってくれてる〜と勝手に感じてました。笑

 

 

私の人生はまだまだ続きます(打ち切りの週間漫画みたいな)

人生に妥協せず、今後も幸せ追求していきます。

 

ご愛読ありがとうございました!