不自然に最近の日記 | 朝岡プロのブログ

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11月7日
アトムに行く。
塾長が、スト3の1人用をギガスヒューゴーでプレイしていた。
私「そうそう、立ちギガス(2回転)できるらしいよ。かなり難しいらしいんだけど・・」
塾長「え?立ったまま2回転?どれどれ グルグルグルグルグル(超高速)」

ピッカーン(いきなり)

最近、精細が無く、対戦も弱い塾長なんだけどさ。
ひさしぶりに感動したね、正直。
7000Rpmの回転伝説。いまだ死なず。

 


11月10日
今日はネタが無いので、一号生のりお氏の下ネタシリーズから。
私「とこやで散髪してきたよ」
のりお「ほぅ。

おとこやで三発

してきたんですか。それはさぞかし良かったでしょう。」

 


11月12日
私の今の対戦環境は私の格闘ゲーム人生の中でもかなり恵まれた状況にある。
少し前に日記に書いたと思う。
最近、熱い対戦をしたことが無いと。
今、ゴジラ屋の常連とスト3をやっている時、実に熱く、全力を出すことができる。
寝ても冷めても、対策や連携のイメージが次々に沸いてきて...。
こんなことはスト2ダッシュ以来である。
今、私が日々対戦している相手というのは、こちらの全力を受け止めてくれるだけのキャパシティがあり、 話を聞けば、いずれも各大会等で好成績を残した過去がある人達であり、なるほどと納得である。
正直言ってZERO3をやっていた時というのは、ここまで考えたことは無かった。
私にとってZERO3で、一番熱かった時というのは、Vゴウキの作業にキレて、ダルシムをはじめた時だったように思う。
そして、ダルシムという強キャラを使い、ゴウキにもある程度の勝率を残せるようになり・・・。
その瞬間に私のZERO3に対する情熱は急速に冷めた。
格闘ゲームにとって一番大切なものは何か?

完成されたシステム?
キャラクターの魅力?
ゲームバランス?

私にとっては、それはいずれでもない。

全力でぶつかれる熱い相手

それこそが私が一番格闘ゲームに求めるものである。

 


11月14日
このページを見ていてくれてる人はZERO3プレイヤーが多いと思ので、 ZERO3の全国大会を制したウメハラ氏を知る人は多いだろう。
が、私が最近よく対戦しているヤン使いの、連打君。
彼が全国大会でベガを使いウメハラゴウキを残り一ドットまで追い詰めたことを知る人は少ない。
彼の最後のサイコショットは、むなしく登りパンチに化け・・・
そして彼は敗れ去った。
「~たら、~れば」の話は厳禁であるし、こんな話はよくあることなのかもしれないが、もしあのときサイコショットが出ていたら...。
今のZERO3を取り巻く状況は大きく変わっていたかもしれない。
そういった意味で、大げさに言えば、あの一打は歴史を変えたのかもしれない。

 


11月18日
スト3、ケンの下中P>目押し疾風という連続技がある。
下中pは判定が強く、かつ隙が少なく、ガードされても有利という非常に強力な技で、 これがヒットすると、ノンキャンセルで疾風が確定するのだ。
当然、実戦レベルでこのヒット確認ができれば、大幅な戦力アップである。
私のケンもこれを導入することにした。

下中P(空振り)>しっぷーーーー

たく「朝岡プロ、それは重症。」

 


11月21日
ゴジラ屋で閉店まで遊び、帰宅しようとすると、関西のザンギ使いNEO3氏から電話あり。
なにやら、電車でZERO3全国大会のため、東京へ行く途中、乗り換え地点を乗り過ごし、今夜は名古屋に一旦滞在するとのこと。
というわけで、連打君、T村氏、O川氏と名古屋駅へ駆け付け、別働隊として、シャチ、苦悩の両氏も誘いファミレスへと行き、ダベる。
関西勢と、予想だにしていなかった再会。
こういった、アクシデントも、人生たまには面白いかもね。

 


11月22日
MP-MAN知ってる?
いわば、MP-3ウォ-クマンなんだけど、これがけっこう安いと聞いて、大須に買いに行く。
というわけで、大須案内をしてもらうべく、一号生上山氏とゴジラ屋で待ち合わせ。
デッド・オア・アライブ2をウハウハやりつつ、待つ。ワーイ。
が、待てども、待てども彼は来ない。
二階を見に行くと、そこに上山氏発見。
上山「え?さっき見にいったはずだけど...。ごめん

あまりに自然にヲタク連中と溶け込んでたんで、気がつかなかったよ

 


11月23日
キミは「F・A・T」を知っているか?
スト3界にあなごさんというエイジス・ユリアン使いがいるらしい。
そして、彼があみだした、ガード困難なエイジス連携を「F・A・T」、 フライング・あなご・スペシャルと呼ぶらしいのだ。

私「ボクちゃんも、なんか必殺技欲しいよぅぅぅ」
たく「朝岡プロっすか?う--む.. 「C・T・S」

超待ち・タイラント・スペシャル

ってのどうすか?」

・・・なんか、カッコ悪い。

 


11月24日
バレーボールを見ていた。
男子の日本対スペイン戦。
シナリオ通り勝ったのはスペインで、MVPはスペインの貴公子パスカル。
甘いマスクから繰り出される強烈なスパイクは正に弾丸。
天は二物を与えたとはこのことか。
アナウンサーが日本の加藤と比較し「貴公子対決」などと、のたまっていたが、 パスカルと加藤では、スト2と、モータルコンバットくらいの差があろう。
さて、試合後のMVPインタビューである。
パスカルへと、マイクが向けられたその瞬間。
キャーという歓声と共に表れたジャニーズ事務所の小便臭いガキが、 その隣でカメラに向かって
「ピース、ピース」

阿呆か、テメエは。

見た目も、歌もパっとしない、このガキ共の稚拙な集団だが、 ネーミングセンスだけは秀逸

荒らし

名は体をあらわすとは、このことであろう。

 


11月25日
スト3でユリアンで対戦をしていた。
「タイラント・バニッシュ!!」
の掛け声と共に揺れる筐体。
ガチャプレイヤーの私にとっては、ごく当たり前のこと。
が、まだ私を知って、時が少ない連打君にはこれが驚きだったらしい。
そう。
筐体においてあったウ-ロン茶の缶が、あまりの震度に絶えられず、カタカタと音を立てつつ移動していたのを、彼は見たのである。
が、次の瞬間の私の行動を見て、彼の驚きは恐怖へと変った。
「ゴくゴク」
連打「飲んでる!!!まだ、入ってたのに移動してたんかい!!」

私「ああ、でもコレでも昔に比べてかなりマシになったよ」
私「最近たまに、ゴジラ屋に来る、ものすごい勢いでコンパネ、ガチャガチャやって奴いるやろ? 昔はアレ並だったから」
連打「いや...

今でも、十分に、あれクラスは揺れてますけど...

 


11月30日
しばし、旅に出ていた。
場所は東京。
私にとっては、実質、初東京である。
したがって、今後しばらくは、東京での話をしたい。
まず、名古屋を出発、バスで行くこととした。
メンツはたくさん、連打君、そして私。
一応、目的としては、3rdの3on3に出場するということで。
行きのバスの中。所要字間は6時間である。

私の目には左前の先に座った男が目にはいった。
年は四十過ぎであろうか。この時期に上半身は半そでのシャツ。
そこから見える腕は、浅黒く日焼けし、筋骨隆々であり、肉体労働者であることが想像できる。
悪く言えば、その少し小汚い男は、大量の写真の束を持っていた。
私は、ウォ-クマンで音楽を聞きながら、さりげなくその男を観察する。
その男は、写真を見る。
写っていたのは、幼い子供であった。
家路につこうとする出稼ぎ労働者であるのか?
そんなことを、想像したりしてみる。
ひとしきり、写真を見ると男は、満足そうに、写真をしまい、目を閉じる。
が...、また、1時間もしないうちに、我慢しきれないのか再び写真の束を開ける。
それを繰り返すこと数度。
その姿が、40過ぎの男にはあまりに不釣合いでかわいく、
クリスマスの夜を。
遠足の日を、待ちきれなかった、あの子供の頃のときめきそのままを、私に思い出させた。
そんな往路であった。

 


12月1日
さて、いよいよ東京に到着である。
いろんな方にお世話になったが、泊めてくれた志郎君。
深夜、池袋までいっしょに歩いてくれた、メスター君、ニット君、名前を聞き忘れてしまったがダットリー使いの子には特にお世話になった。

そうそう、話は変わるが先日のZero3全国大会で、熊谷さんのザンギが大活躍したらしいね。
私の身近な人は知っていると思うが、実は、私は以前、熊谷さんのプレイを見た時から、
「この人はきっと昔からのプレイヤーに違いない。このザンギは本物だ。素晴らしい」
と言っていた。
決して、外見がおっさん臭いからというわけでは無いぞ。
言い訳がましいが、それについて、日記も書いた。
が、どうにもオチがつけられず、その日記はボツったのである。
が、先の大会で彼がメジャーになってしまい、私としては実に残念である。
そういう気持ちって誰しもあるでしょ?
K-1にしても私にとってみれば、マイナー時代のミスマッチが多かったときのが面白く、今のK-1はつまらない。
話が脱線したが、ナニが言いたいかというと、
池袋まで付き合ってくれたニット君。
彼は、その腕もさることながら、非常によく考えていて、素晴らしいプレイヤーだ。
結構、話をする時間があったのだが、人物的にも素晴らしい好青年である。
まだ、あまり知られていないが、彼がこのままゲームを続けたとしたら、きっと近い将来、全国的なプレイヤーとして名を馳せると感じた。
熊谷さんの時のような悔しい思いをしないために、ここに書いておこう。

 


12月2日
俺って普段、腹が緩いくせに、旅に出ると、逆に便秘気味になるんだよね。
しかも、東京に行って食べたものが、
ラーメン。
ラーメン。
ラーメン。
ラーメン。
とんかつ。
から揚げ。
ラーメン。

便秘殺されるって!

ウンコユリアンっつーか
むしろ

俺自身がウンコの塊そのものだったね。

 


12月3日
さて、03組として、連打君、たくさんとは別行動をとっていた私は一足先に一人BET50へ。
やってきました、天下のベットハーフ。
初めてこのゲーセンを知った時「びーいーてぃーごじゅう」と呼んでいて、シャチ氏に訂正されたのは遠い昔。
なにはともあれ、便秘を解消すべく便所である。
少しは出しておかなければ、ウンコが体のキャパを超えて爆発しかねない。
便座にすわり、ズボンを下ろし戦闘開始。
と思ったその瞬間。

ガチャリ

キチンと施錠したと思っていた、扉が無常にも開けられ、私のせつない視線の先には、後からやってきた、たくさんが。
私「やあ」
懐かしい顔との思わぬ形での合流である。

 


12月5日
さて、東京話とは関係無いのだが、ついでにウンコにまつわる話しをもう一つ。
それは、関西へ遠征する時の朝であった。
集合場所はキング。
当日、私は緊張のためか、凄まじい腹痛。
キングが開店となり、トイレへ猛ダッシュ。
が、そんな私の前を疾風の如く駆け抜ける一つの黒い影あり。
奴はこともあろうに、私の眼前でトイレへと到達したのである。
その後姿はまぎれもなく、二号生えちこ氏。

キチーよ。
ガイルの待ちよりキチーよ。
待ち殺されたって。