先日書きました

親へのもやもやを整理するブログ

第二弾の今日は

「娘の進路相談に「自分で考えろ」しか言わない母」のお話です

 

 

うちの母は

良く言えば「子どもの意見を尊重してくれる」母です

 

 

 

私は2歳の頃から英会話を習っていましたが

母が “今の時代は 英語くらいできなくちゃ”と

経済的には無理をして

通わせてくれていたようです

 

その教室は

大きいお姉さんお兄さん(小学生~高校生まで)も一緒に習う教室で

私はちっともわからなくて

本当に 本当に 毎回苦痛でした

 

ある日 教室の門にしがみついて

大泣き「ヤダー!いかないー!!」と

大泣きする私を見て

母は “今後 娘の人生に口出しすまい”と心に決めたそうです

(教室は すぐに辞めさせてくれました)

 

 

 

それも一因なのか

母は 昔から

私の相談に乗ってくれませんでした

 

高校受験も 大学受験も 就職も 結婚も

もっと小さな

“ともだちと喧嘩した”とか

“職場に困った後輩がいる”とか

そういった相談も

母が言うのは お母さん「自分で考えなさい」だけ

 

 

 

私が自分の人生を振り返って

“この時だけは 相談に乗ってほしかった”と

思うのは 高校受験の時です

 

 

 

私は 家から電車で40分のところの

自由なカリキュラムと校風が売りの

公立高校を第一志望にしていました

 

人気校で かつ 個性が重視される高校だったので

ただ成績がよいだけでは 合格できない高校でした

 

 

当時の私は

いろいろと空回りな部分がありましたが

真面目な優等生で

成績は 体育と音楽以外はよく

テストの点数もとれていました

 

 

 

でも入試が近づくにつれ 不安になったのです

我が家は貧乏で ずっと「公立に行ってくれ」と言われていました

滑り止めの私立は 受験させてもらえるけれど

公立に落ちたら 通わせてもらえるのかな…? 

 

・電車で40分も通うのが大変かもしれない

 

・ひとりも友達ができなかったらどうしよう…

 

・高校浪人なんてできないよ…

 

・中退することになったらどうしよう…

 

・テストはたぶん大丈夫だけど

 私なんて 何にも取り柄がないし

 個性重視の高校に受かる訳ない…

 

 

 

母に相談すると 「自分で考えなさい」と言われました

担任の先生も そういう考えの先生でした

 

私の迷いや 感じているプレッシャーを

知ろうともしなかった

 

 

 

結局私は自分で考えて

もともと第二志望だった

自転車で40分かかる公立高校を

第一志望にして そこに合格しました

(偏差値的には “かなりもったいない”選択です)

 

 

 

中学を卒業する日

尊敬していたある先生(担任ではなかった)に

 

「asanonecoは 高校受験で逃げたんだから

 3年後 お前の第一志望だった高校に合格した奴らと

 大学受験で勝負だな」

 

と言われました

 

 

 

その時の 私のショックな気持ちは

今思い出しても 胸がきゅっとなります

 

あぁ 私は “逃げた”んだ

一生懸命考えて出した答えだけれど

これは 逃げだったんだ

だったら どうしたらよかったんだろう…

あのまま受験していたら受かったの…?

落ちたら 私立に行けたの…?

 

 

 

結果的に言えば

私は 高校入試でほぼ満点をとりました

内申点もよかったハズで

受験していれば もともとの第一志望に受かったでしょう

 

その先生は

私がどのくらい内申点を持っているか知っていたし

チャレンジすれば受かると

信じてくれていたんだと思います

 

そして私が この先の人生でもう二度と逃げないように

忠告をしてくれたんだと思います

 

 

 

でもね 中学卒業の日に

大好きな先生に

「お前は逃げたんだ」って言われて

悲しかった

 

「自分で考えなさい」と言った母

はなから相談に乗る姿勢のなかった父

そして担任の先生に

どうして相談に乗ってくれなかったんだ!!って

大声で怒り散らしたかった

 

 

 

今ならわかります

 

担任の先生じゃなくて

その先生に相談すればよかったんだと

 

電車で40分は 確かに大変だけれど

自転車で40分だって 大変だってこと

 

第一志望は チャレンジして

第二志望に 結果的に通うことになった高校を選んでいれば

例え入試当日に大失敗したとしても

公立高校に通えたこと

 

家から近かった別の高校も自由な校風がうりで

そちらを受験してみてもよかったかもしれないこと

 

客観的に見て

通った高校よりも もう一つ上のランクの高校の方が

私の性格には 合っていただろうこと

 

14歳の子どもが自分ひとりで考えるには

考える材料も

調べて得られるデータも

限界があったこと

 

 

 

だから未だに思うのです

 

あの時 迷っている私に

「実際にどのくらい電車が混むか 通学時間帯に行ってみようか」

「どこの高校でも ともだちはできるかもしれないし できないかもしれないよ」

「どこの高校に行っても 辞めたくなるかもしれないよ

 そうなったら その時に考えればいいんだよ」

「大丈夫 いざとなったら私立に通えるよ」

「necoは この高校のどこが気に入ったの?

 この高校も自由な校風みたいだよ」

「実際 合格できなさそうなのか 先生に聞いてみようか」

 

私の 迷っている気持ちを聞いてくれたら

こんな風に 励ましてくれたら

考えるヒントをくれていたら

 

例え 同じ答えになっていたとしても

卒業式の日 あんなに傷つかなくて済んだのに

 

 

 

それから高校3年間

私は 今まで通り こつこつ勉強して

できるだけ情報収集をして

自分で 公立大学を第一志望に選んで

合格可能性があがるように 受験方式を選んで

無事に現役合格しました

 

(私の高校から その大学に現役で受かったのは

 私が初めてだったみたいです)

 

もともとの第一志望だった高校の生徒たちと比べても

“勝てた”と言える結果だと思います

 

 

 

高校受験の“逃げ”があったから

毎日こつこつがんばれたし

自分で考えるために

情報収集する大切さを知ったし

土壇場での決断力も身についたのかな…

とも思いますが

 

大学に入って

・自分一人で考えるには限界があること

・自分の情報収集の仕方は まだまだ甘かったこと

・人に意見を聞いてみると 視野が広がること

・人にアドバイスをもらった時

 それに納得できなければ 従わなくてもいいこと

そういうことを学んで

 

 

やっぱり 高校受験で迷っている子に

「自分で考えなさい」と丸投げした母や先生は

大人として 対応が不十分だったよね

と思います 私個人は

 

 

 

 

私は息子が迷った時

どうして迷うのか

何がしたいのか 何をしたくないのか

きちんと聞いてあげたい

 

 

彼の気持ちを聞いた上で

彼自身が答えを出せるように

 

考えるヒントを出したい

決断の材料を 一緒に見つけてあげたい

決断の材料を 探す方法を一緒に考えたい

 

母や父じゃなくても 担任の先生じゃなくても

アドバイスをもらってもいいんだよ

って伝えたい

 

アドバイスをもらったら従わないといけない

なんて思わなくていいんだよ

って伝えたい

 

 

決めるのは自分 でも

一緒に考えるのはできるよって

 

 

 

 

母が「自分で考えなさい」しか言わなかったのは

祖父母の影響もあるのかな

と思います

 

祖父母は 自分の子に

「ああしなさい」「こうしなさい」と言う人でした

 

母や母の兄弟は 親の言いなりに育ち

自分の意見を言えないどころか

自分の意見を持つ というのが苦手に育ったそうです

 

母の弟(おじ)は

中年の頃ニートになりましたが

「俺がこうなったのは お前ら(祖父母)のせいだ!!」と

毎日暴れていました

 

祖父母が亡くなった後も

毎日 そう言っていました

 

 

 

母はある日

「私のせいで人生かわったんだって言われたくない

 だから 余計なことは言わない」

と言いました

 

母は

自分が 自分の両親のようになりたくなかったんだと思います

 

私に 自分や弟のようになってほしくなかったんだと思います

 

人からアドバイスをもらったら

それに従わなくてはいけない と思い込んでいるのだと思います

 

 

 

私は 母が願ったように

「自分のことは 自分で考えて決める」ことが

できるように育ちました

 

母が「自分で考えろ」しか言えないのは

仕方がなかったのだと思えます

 

 

 

でも中学の卒業式のことを

今も 悲しく思い出します

今も 泣きたくなるくらい

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました