以前からわたしは林千勝先生という近代歴史家の方が講演会でもチャンネル桜での冒頭で出すこの図が世界の真実であるとブログで語っていた。
(*真ん中の日本という文字はわたしが付け加えてます。)
この図の表すもの、それは現在の日本は東と西のグローバリズムの草刈り場となっており、
東と西は対立しているように見せかけて実はその裏で繋がっているという主張。
これは間違っていないし、真実に目覚めた人たちもおそらくこの構図に行きつくのは必然だと思う。
けれど、わたしは次第にこれすらも疑問を抱くようになった。
そのきっかけとなったのは、参政党を始め、真実を発信する側に時折り感じる妙な違和感だった。
彼らは真実を話していると頭ではわかる。
でも、気持ちいい感じがしない。
それは数年前、スピリチュアル界に疑問を抱いたときとまさに同じ感覚だった。
吐き気が襲ってくるあの独特の気持ち悪さ。
それと同じ感覚を彼らの中に感じ始めた。
今年の春頃からワイオグループに来る信号、妨害のそのほとんどが突然中国の闇に切り替わった。
夏には日本全国の神々様、観音様、龍神様の多くが中国の闇の方々に封印されていることもわかった。
この妨害への対処は今も続いている。
そんな中、わたしはずっと疑問に感じていた。
西側グローバリズム関連の闇の方々はなぜ来ないのだろう。
中国からの妨害の対処が終わったら、次は西側グローバリズムからの妨害が始まるのか。
ずっとそんな風に考えていたのだが、どうやらその考え自体が違うのかもと本気で思い始めた。
目に見える世界ではいまだに力があるようにしか見えないけれど、もしかしたら西側グローバリズムに関わる闇の方々はもうとっくのとうにいないか、力を失いつつあるのではないか。
そう考えると新たに見えてくるものがあった。
10月のニュース記事でポンドが下落していることを知った。
イギリス金融街のシティはグローバリズムの本拠地?聖地みたいなものだから、まさに西側グローバリズムの闇の力が衰えていることの現れではないかと感じた。
ここで祖の時代の象徴のひとつを見せる。
この鏡、玉、剣は祖の三種の神器である。
剣の象徴するものは力、武力に置き換えることもあるが、
なにしろ祖はすべてが三角形であり、そのトップにあるのはいつの世も神や神的存在なのだ。
今、日本のメディアでは政治に統一教会が強い影響を与えていると騒いでいるけれど、統一教会問題は祖の本質が垣間見えただけに過ぎない。
良い悪いの話ではなく、道理の話だ。
話を戻すと、西側グローバリズムもまた同じく神への信仰心がある。
キリスト教、ユダヤ教だが、この2つの宗教の神は両者ともに高木神という権力の神だった。
そして高木神はすでに休まれている。
休まれているというのはもういないという意味である。
高木神だけでなく、祖の神様方々は例外なくお休みされた。詳しくはnoteをご覧あれ。
また、真実を追うなかでグローバリズム勢力を調べていくと必ずと言っていいほど出てくるのが悪魔崇拝だ。
要するに、世界を支配している悪いやつらはみんな悪魔崇拝者であるという陰謀論。
わたしもスピリチュアルの闇を知る上で散々ぱら出てくる記事を読み込んだ。
2020年コロナに始まり、アメリカ大統領選挙の最中でも相当騒がれ、その多くが明るみになった。
しかし、悪魔、ルシファー、堕天使、鬼、というのはこの祖の時代の幕開けとともに祖の神々によって封印され、鬼門に閉じ込められた国常立大神なのだ。
わたしはそのことを本質的にまったく理解していなかった。
悪魔、ルシファーとは最初から最後まで闇の方々を指すものだと思い込んでいた。
もちろん闇の方々の働きなのだが、本来悪魔ルシファーとされたのは、むりやり悪魔の仮面を被せられた神だった。
悪魔崇拝者たちが行なっているとされる到底同じ人間とは思いたくない悪行の数々も、世界の悪のすべてをルシファーの仕業だと決めつける行為も、
それ自体が国常立大神を封印する儀式そのものではないか。節分の豆まきなんてかわいいもんだ。
国常立大神はこれから訪れる皇の時代の神なのだから、祖の神を信仰する西側グローバリズム勢力が見えない領域ではすでに力がないのも当然なのかもしれない。
一方中国はどうだろうか。
なぜここまで強く闇の方々が働くのか。
そう考えたとき、中国は無神論崇拝だと気づいた。中共は宗教弾圧にも余念がない。
中国という国は中国共産党の下にある。意味がよくわからないけれど、要するに中国共産党は、習近平は神になりたいのだ。
これは中国に限らず独裁国家の特徴とも言えるそうだが、神を弾圧した中国は祖の時代の最後にもっとも強い闇の力を手にしたんじゃないか。
そう思う。
右翼対左翼の単純な時代は終わった。
今、真実に目覚めたと言われる人たちの中でも闇の力が働き、ものすごい勢いで分断が起こっている。
その原因はなんなのか?
わたしの経験からはっきりとわかるが、宗教的思考と下に心がつくヨク(慾)、幼い祖の思考を手放せていないからだ。
日本人がこのような祖の思考を手放さないかぎり、闇の妨害が終わることはないようにも思う。
皇の時代は大人の思考でマル○を創る時代なのだ。真実を知っただけでは意味がない。
ましてや意識の高さという剣を振りかざし、分断を煽るなんて闇の方々の思う壺。
そういうわたしにも幼い思考はまだ残っているし、闇の方からの試練は続いている。
この数ヶ月で精心的自立、大人の思考とは、自分の考えすらも疑うことなのだと学んだ。
世界は自分なのだ。
参考になれば幸いです。
近々、お話会を開催します。
日時はまた追ってブログに記載します。