こんばんわ、しのけんです。今日も暑かったですね。夕方、
ドコモショップに行って、タブレットを申し込んできました。
操作に慣れるまで、しばらく時間がかかりそうです。
明日の東京は32度まで上がるそうです。暑くなりそうですね。
今日のブログも昨日の続きで、アリスの矢沢さんの店に
行った時のことを書かせていただきます。
矢沢さんにアリス時代のことを尋ねて、いろいろなお話を
聞かせてもらいました。まだ売れなかった頃、アリスは知名度を
上げるために、「国鉄の特急の停まる市の市民会館には
ほとんど行った」 というほど、地道なライブ活動を行っており、
1974年には年間303ステ-ジという、日本全国をツア-で
移動していることを考えれば、ほとんど年中無休という殺人的な
スケジュ-ルをこなしきったという、ファンの間で有名な逸話が
あるのですが、矢沢さんの話では、この頃アリスの興行権を
893に握られてしまい、借金返済もあって働いても働いても
稼いだお金を取られてしまう、という状況だったそうです。
アリスが売れなくて、最初の5年間で作ってしまった借金は
昭和50年前半の額で、約1億5千万円。これも、ファンの
間では有名な話なのですが、この話も矢沢さんに尋ねてみた
ところ、「所属している事務所名義での1億5千万円ってのは、
大したことないんですよ(意味不明、いずれにしても、事務所に
アリスとして所属している彼らの報酬から返済分が引かれていく
ことに変わりは無い)。でもやっぱり、返済するのは大変だったよ
当時の1億5千万は、今で言うと10億だぜ!」
と、おっしゃっておられました。
話はアリスのライブ版のことに移り、「帰らざる日々」という、彼らの
初めてのヒット曲のライブバ-ジョンの最後の、「バイバイバィ~」を
繰り返して、だんだんスピ-ドが速くなっていく部分の早さが、
ライブ版ごとに違っており、一番早いのは「アリス武道館ライブ~
限りなき挑戦」のバ-ジョンであり、二番目に早いのは、「アリス
3606日 ファイナルライブ イン 後楽園」のバ-ジョンである
ことを、アリスのレコ-ドは全部聴いたことのある私は知っていたので、
これを話題に出すと、「へ~そうだったのか。君は、俺の知らないことを
知ってるね」 と、言われてしまいました(笑)
この時同席した私の友人でバンド経験のある奴が、「もし自分が曲を作って、
これはいいな、と思えるものが作れたら、紹介とかしてもらえますか?」と
矢沢さんに尋ねたら、「自信がある作品ならば、紹介なんかに頼らずに、
自分で売り込んでみろよ」 と言われて、へこんでたのを思い出します。
全然関係ないことですが、この友人は、今回のジャパンエキスポの
私が所属したBチ-ムのガチャ販売担当の責任者を拝命されたメンバ-の
方と顔がソックリだったので、4月の福井合宿の時に、この方と初めて
お会いした時には、びっくりしました。もしかして、親戚だったりして…
矢沢さんの言葉にへこんだ友人に続けて、「音楽の世界は、いくら
努力しても、才能がなければ駄目なんだ」 と、手厳しい言葉を
述べておられました。ライブの時やテレビ出演の時には、谷村と
堀内の喋りに合わせて、ボケに徹しているのですが、そのイメ-ジが
強い矢沢さんからこのような言葉が出てくるとは、非常に意外でした。
売れなかったアリスを大人気バンドになるまでに押し上げ、
現在の価格だと、10億にも相当するような借金を返しきった自負が
あるからこそ、言える言葉なのかもしれませんね。
今日も長くっなってしまいましたので、ここまでにします。明日もまた
続きを書きますので、読者の皆様、どうかよろしくお願い申し上げます。
Shinoken
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