今年も311日がやってきた。忘れもしない日。

  あの悲惨な光景は、あの時あの瞬間、たしかに我々が生きるこの世界の現実として存在していた。


  あの日は神奈川県にいた。経験したことのない大きな揺れがおさまり、テレビをつけたら信じられない光景が中継されていた。確かNHKだったと思う。

  およそ1,000人の犠牲者が出た名取市の町が、得体の知れない黒い塊りにのまれていく。無慈悲な塊りは躊躇なく町へ流れ込む。きっと懸命に助けを求め叫んでいた人も、覚悟を決めた人も、まさかの出来事に目の前で何が起きているのか分からなかった人も今となっては、あの時あの画面の中には多くの物語が存在したのだとわかるが、それも随分時が経ってからだった。


  あの日以来、宮城県出身の僕の音楽活動は大きく変わった。それまでは応援してくれる方、周りで支えてくれるスタッフの方たちのお陰で、毎年のようにアルバムを出し、大きなコンサートツアーをやり、海外公演も多く、ありがたいことに充実の日々を送っていた。

  でも、それが一変した。あれは夢だったのかと思うほどに。


  震災直後に普段の何倍もの時間がかかりながらも地元へ帰り目にした各地の光景、避難所の光景。それは到底現実とは思えなかった。あの時は"希望の光"とやらがどこか異次元に飲み込まれこの世には存在していないのかと思うほどに絶望が広がっていた。流された娘を探すご両親、家も車も思い出の品も何もかもが流されたが何かひとつでもと探し回る人たち。


  いくら考えても、どう頑張って口を動かそうとしても「三味線を聴いてください」なんて言えるわけがなかった。


  少し日が経ち、避難所から仮設住宅へと整備がされた頃。ようやく三味線を持って皆さんと唄をうたうことができた。"その時間だけ" なのはぼくも分かっていたけど、皆さん笑ってた。大声で唄って踊ってさわいではしゃいで、笑った。お茶のみながらいろんな話をしてくれて、あの日自分に何が起きたか、を教えてくれた。想像以上だった。


  それから5,6年、仮設住宅へ伺うことを続けた。80カ所くらいだろうか、皆さんが笑顔で受け入れてくれて本当にありがたかった。


  気づき。

  ぼくは今まで自分の演奏を誰かのために、心から誰かを思って弾いたことがあっただろうか。思えばいつも自分のエゴ。頭の中にはいつも"優勝したい" "誰よりも上手くなりたい" それだけだった気がした。


  それを教えてくれたのは被災された地元の皆さんだった。自分から無理に押しかけておいて結局大変な思いをされている地元の皆さんがぼくを音楽家として、ひとつ上の階段へ押し上げてくれた。


  この9年、震災を通して本当に色々な方に出会い、色んなドラマを目撃してきた。巡り合った有難いご縁に感謝するとともに、皆さんへの恩返しはやっぱり音楽でするしかないと思う。


  全壊扱いとなった実家の床柱で2挺の三味線を作った。ぼくと三味線を出会わせてくれた大好きだった大工のじいちゃんが建てた家だったから、それが三味線になり、いつも一緒に暮らせているのが幸せだ。この楽器を制作するにあたっても、本当に多くの方のお力添えがなければ実現できなかったのだから、こういう時に助けてくれた人へは生涯恩返しをし続けたいと思う。


  残念なことに、こういう時こそ一緒に同じ方向を向いてくれると信じていた身近な人たちに、"偽善""震災バブルの恩恵を受けやがって"などと驚くことを言われたりもしたが、今となってはそんな言葉さえもぼくを大きく育ててくれたのだから感謝している。


  先日、母校・仙台市立芦口小学校 6年生の総合の授業へお邪魔した。当然のことなのに ハッとしたのが、在校生のほとんど全員が震災を知らないということだ。自分にとってはついこの間のことなのに。


  世界はいつも平等に、1日 86,400秒の時を刻みながら進む。誰しも平等に与えられた時間である。時間は寿命。1日に100秒間とてつもなく嫌な思いをしたからといって、残りの86,300秒を捨てることはない。自分が思うようにいまを生きよう。


  現在は新型肺炎が世界で蔓延している。人類史において、定期的にやってくるウイルスとの闘い。それを世界の先人たちは乗り越え時を繋いできた。日本においても、大地震や大津波は昔から起きてきたし今後も必ず起きる。これからの明るい未来を担う子どもたちへ、この教訓は伝えていかなければならないとぼくは思う。何も神妙な面持ちで深刻な語り口である必要はない。子どもたちには子どもたちの人生があるのだから、できる限り寄り添いながら。人間には言葉も音楽も、伝える手段が沢山ある。情報グローバルな現代だからこそできる伝達もあると思う。


  今日はあの日に心を寄せよう。いまだ行方不明の方も大勢いる。犠牲になられた方、二次、三次被害で犠牲になった方も多くいる。心から哀悼の意を表するとともに、繋いでもらった未来をより明るくできるよう、いま自分にできることは何なのか、を考える一日にしよう。