~はじめに~    

私の父は大腸癌で直腸を切除しましたが両肺多発転移になりました2011年12月です、それから10年間が経過した今もステージ4で共存できています。自分なりにですが癌との共存する考えを記載していきたいと思います。父は89歳になりました


【経過】長くなるので略してます

1、両肺転移5ヶ所は当時のガイドラインの3ヶ所迄が手術適応から外れ抗癌剤の標準的な多剤では副作用で79才には無理だろうとそれなら軽目の薬を単剤でゼローダかTS-1だけにするか?吐気.食欲不振もどうか耐性で効かなくなった時にはかえって悪化が拡がるのでないかが心配で迷って散々に考えました、その結果取り合えずは抗癌剤はしない方向で❗️免疫力向上で対応してみようそれでも悪化した時は抗癌剤を服用しようと思いました。この選択は今現在でも良かったか答えが分かりません抗癌剤を併用していたらもっと楽にがんを抑えられていたのかもしれません。免疫力向上は自己でも努力できることを調べ実践しました食事・運動・保温それ以外に自由診療クリニックでのサプリ服用と点滴をして2013年3月迄の15ヶ月間は肺の転移癌はゆるやかな増大5ミリの腫瘍が15ミリに増大する位でしたので生活も何ら支障なく平穏無事に暮らせたのがとても幸いでした。抗癌剤を服用していたらは?ですね


2、しかし急に1ヶ所が増大して気管支を這うように浸潤してきて40ミリを超えて縦隔リンパ節にも転移してしまいましたこの2ヶ月間の短期間で息苦しさに痰が酷くなりこれではもう余命数ヵ月の状況下でした、手術は不可で放射線は肺炎の危険度大不可で主治医からは他に何かできないかという治療案も有りませんので自らで本当に何かないのかと調べ初めました。ラジオ波術は肝臓腫瘍には保険適応で全国の大学病院で施術実積は有りますが肺腫瘍には手術代が保険外で55万円(入院費は保険適応)でわずかに2つの大学病院での実積が有りセカンドオピニオンに行きました三重大はラジオ波術では40ミリもの気管支内の浸潤では厳しいガイドライン通り両肺多発を無理に施術しても再発必至であり生存期間延長にならず意味がないから何もできないということでした、ラジオ波ならお願いすれば何とかなるかもという期待も無くなりならば次の病院も同じだろうと失意の中でした。しかしサードオピニオンの岡山大のIVR科教授は完治こそ難しいが❗️まずは延命のための気管支浸潤の腫瘍の外科手術はしますガイドラインから外れても倫理委員会を通せるでしょうからと言ってくれました、その理由が15ヶ月間での増大が微々だから安定したがん腫瘍とみなすということでしたここで日々の免疫力向上をしていたことが助けになってくれました。ガイドラインから外れて本来はやってもらえない手術を13年7月にできついでに他1ヶ所切除しましょうとなりこれで残りが3ヶ所になったのでガイドラインでの保険適応での手術可能になったのです、9月に2ヶ所を外科手術して残り1ヶ所5ミリ小さいのは変化無いので経過観察に。思うのは自ら探し動いたから出会いもできたからですが教授や病院の方針が患者の心情を汲んで頂いてくれる患者を助けたいからという命を重んじるくれている人間性の有られる医師だったことが幸いだと思いました。ガイドラインの基準は生存期間に無意味な手術は避けるという必要不可欠さも分かりますでもある意味何だろうと多くの同様な患者は手術が受けれないことになってしまうのでないかとも思えてしまうのです、現在では個数の基準は緩やかになってきて手術できてもいるとはきいています。


3、経過観察の1ヶ所以外これでがん腫瘍が無くなった安心だと思っていましたが言われた通りその後は再発と手術の繰り返しになりました、13年7月~17年1月迄に外科手術3回・ラジオ波術3回の計6回で計9ヶ所の切除しました、再発場所は外科手術では難しいがラジオ波なら可能だというのにも救われました、だからラジオ波でなら手術できるケースも有るのです負担が少ないので疾患の持病や外科手術が難しいというケースの方にはぜひセカンドオピニオンをされて下さいと思います


4、両肺多発転移の2011年12月から手術しても再発また手術が3回で2017年1月が過ぎました、しかしついに新たに再発した場所が縦隔の大動脈そばで外科手術もラジオ波術も不可でこれは対応できないとなりましたこれならもう増大するのを待つだけ1年位の予後になっとしまうと思いましたなので又新たに治療方を調べました、この4年間だって自助努力で免疫力を高く維持しているのだしビタミンC点滴もしているのに又もこれで4回目の再発をしてなぜ?どうしたら?と悩みました。当時の先端で宣伝の多かった自由診療クリニックの血液培養の免疫細胞療法の治療をしてみようか悩みました余りに高額で奏効率の低さを疑問視していたからですが結局はしないで後悔するよりしてみて効果が無い時に後悔しようという考えになり説明会や出版本で学習して8つ位のクリニックを比べたりして飯田橋九段下駅にある阿部博幸医師笹田院長の東京キャンサークリニックは奏効率の高いことと6回とかのセットでの申込みでない1回ごとで可能だったのももし途中で奏効が無いなら他院へ変更していけると思えたことと+温熱療法もできるということ選択しました恐る恐る始めて正直本当に効くのかな思いましたが3ヶ月毎のCTで増大していないので続けようとなり血液を培養免疫樹状細胞+NKT療法と温熱療法を16年12月~20年2月迄の3年3ヶ月間続けました今は効いているがいつ又増大するか心配しながらでした、永続していて副作用が皆無だから平穏無事に暮らせるのが良いと思います、但し免疫が落ちている血液で培養したものは実数も少ないまま投与した所で効果は薄いのです❗️ここも大きなポイントになります免疫を上げる治療(注射)をまず横浜サトウクリニック受けであげておいた血液を培養することこの効果増大を得られるのです実際の培養の数字も知らせてもらえます❗️ここもポイントになりますが手術挟んで前と後にする事で切られる前細胞と切られた後細胞に満遍なくNKT細胞がシャワーのように防御してくれるのです

そしてお願いしたいのは治療だけ受けていればいいというよりはベースに有る自助努力で免疫力向上との相乗効果があるからだと思えています。

体温37℃台の保持、腸内環境、ケトン食は又別に記載いたします


5、そして20年4月に又も新たな病気になりました間質性肺炎の初期です9ヶ所の手術の癒着傷跡や高齢であることや免疫力を高めた治療でのリンパ球暴走なのかいまだある微細がんの影響なのか分からないですが歩けばすぐ息苦しさが出ます静寂なら普通に呼吸できます酸素チューブを付けた生活は不便で自由自在に身体を動かせ無いことが辛いと思います、間質性肺炎も回復する治療方が無いので憎悪は生命にかかわりますので又対応策を調べます後悔をしないようにと思います、今現在2021年12月でステージ4で共存しながら丸10年となりました。

*追記

父は残念ながら2022年1月に逝去しました間質性肺炎が死因です違うと言えば違うし繋がっていると言えばそうかもと思います3年間の現状維持があれば完治かも思っていた時の突然の肺炎からでしたもう少しなんとかならなかったかと後悔はつきません本当に良い父と暮らせ幸せでした

とりあえずにて詳細はまた記載いたします