B055 弘法大師 空海との歓談 2019年談
弘法大師(空海)との歓談
巫女>帽子をかぶって それこそ黒い袈裟に白いタスキ
歩いてる姿が見えてて 高野山とかで
この方がを修行されていたときの姿で見えて
空をふっと見て宇宙を見て
下を見るより空を見ることをされていた
空から入ってくるメッセージをチャネラーさんとして
受け取っている方 入ってくる言葉はそら、空(くう)
いろんな旅をされながら学んできていて、
例えば中国とかもそうですけど
お釈迦様すべては一体であるとか
全ては1つであるということを気づかれ
そのことをお伝えしていこうと思った。
この人自身は自由を好む托鉢の姿で映っている
いろんな所に行ってお伝えして1つのところにずっと言うよりは
ミッションを持って駆け回っている姿っていう感じが映ります。
肩をポンポンと叩いています。
あなたの肩を杖みたいなもので
空海>新しい世を作るために力をお貸しなさい
まぁ肩肘はらんと
世の多くの人は全てのことが見えておらん
多くの人たちの中に真実、
真理を見ていく目が備わってはいない
なぜなら様々な電波やマスコミや情報によって淘汰されてしまい
真実の目が曇ってしまっているからである
己が内を見極めたとしても
世界の情勢はなかなか見えてこない
お主(阿山)ならばそういったことを
理解することもできるであろうから
そういったこともお伝えしていくのもよかろう
そして常に空を見上げて
あそこから降ってくるエネルギーや
そこから入ってくるメッセージをとることを心がけなさい
それは石のメッセージかもしれないし
草や木からのメッセージかもしれないし
あるいは星からの女神の語らいかもしれないが
そして私からのメッセージかもしれない
それはあなたの中における
形や言葉が変わったと思ったならば
それは誰かの思いやメッセージの癖が出てきてると思って
自分でない人が語ってきたのだなと
チャネリングメッセージを書き綴っていくと良いでしょう
それは誰かに見せなかったとしてもいいし
自分の日記として書かれても良いであろう
それにより自分自身の成長も促されるし
そして見ていないようで見ている人が呼応すると思う
自分の中にいくつもの自分を表現することができ
さらに自分自身のモチベーションを
上げようとしていくということにもなる
そして新しい自分を発見していくことになる
日々の中でいつも努力する姿勢を忘れてはならない。
それを自分の力でやれないと思ってもならない
自分の力を信じて一歩ずつ進むことによれば
必ず叶っていくし
いつかそうなっていく
そうなっているようにできている
宇宙のすべては実はできている
そのプロセスをいかに味わうか
そしてそれを経験するかが大切として
ここにきている その意味ならお主ならわかるであろう
それ故、お主の中における
試したいという気持ちを実行することである成功するであろう
そこをどこに成功したと置くか
自分の中で昨日よりも今日、
今日よりも明日成長している
この情報(霊言)が1行でも長くかけたと
思うのであればそれを成功と喜ぼう
花が咲く事は大きな成功である
他の人から見たらささやかな花かもしれない
咲かなかった花が咲くということは大きな事 なのである
宇宙の理(ことわり)とはそのようなことである
大いなる現象の中で見まごうていはならぬ事である
それは己が内にしか分からない事かもしれない
だからこそ己が内を決定づけるのは自分のみである
自分ができたと思えば それでよし他人にとやかく言われる
問題でもない
そして自分の人生うまく締めくくったと思えばそれでよし
他人がどう言おうが自分が満足したと思うので
あれば天に通ずる 私はそういう生き方をしてきた。
だからそれが空、何もないと捉えるかもしれないが
私の道である 空海の海は
実は爽快 の”快”かも知れんのう(笑)
阿山>密教と仏教の違いは何ですか?
空海>真言の中におけるマントラがまずは違う
そして己が内側を極めていこうとする意味においては
同じであるが時代も違った
仏教よりも密教の方が
新しいものが唐から入ったきたものではある
そして魔を払うということにおいて長けている
それはその時代の中において
そのような輩そのような文言
そういう風潮があったから
それは魔と光の戦いの中において
加担してきた者たちが増えてきた
それ故、結界を張るとか そのようなものを使うことに
よってより守ると言う意味においては必要になってきた
そして陰陽師や密教に通じた者達が活動する時にも
なったからである
つまり攻撃に対して かわしていく為には
もっと強くならねばならないということである
仏教はあまり排他的では無い
それは彼らの中における
慈愛や釈迦が説いた様に
新しい人々にも受け入れなさいと
言う気持ちがあったけれども
それだけ僧侶たちも迫害にあったような時代である
我々も身を守るためにも悪しき者が入らん為にも
抵抗を付けねばならないと入ってきたもの
そのように理解してる
それ故、退散するとか浄化するとか言うのも
多くなってきている
そういったものを文化が発展させたものである
阿山>密教はミトラ教から来たものですか?
それとも空海ご自身が作られたものですか?
空海>混ざってはいる
日本流に解釈したというのは私かもしれない
それは日本人の中に受け入れられ難いものが
あったからである
日本人の中にやはり悪魔とかそういうなものには
あまり認識がなかった
鬼と言う概念はあったが
いろんな形でアレンジする必要があった
そして戦いということにおいても
勝つということに必要になってきたので
脅しそのような教えを説いて
先方に強くなりたい
戦いに勝ちたいという思いが
あったように見えるので
商売では無いがのう
そのような形でアレンジしていく必要があった