B005【お釈迦様との歓談⑤】
<お釈迦様の本体の魂はどこの惑星から?>
お釈迦様>
銀河のあらゆる叡智が入っています
プレアデスもそうですし
金星もそうです
レプティリアンの星も見てきましたよ
知ってますよ
今は私のところにあらゆる情報が入るので
まるで私が体験してきたように
感じるかもしれない
プレアデスがあなた方に
一番わかりやすいと思います
太陽の星ですね。
そこのところからやってきて
私はその教えを伝える
ということを理解した上で
生まれて来ていた
ただ生まれてきた時に
すべての人がそうであるということを
忘れていた しかし わたしは
それを全て取り戻したのである
全てを捨ててからである
捨てるというのは 責める心や
こうであるべきであるという戒律を
全て捨てた時に私は目覚めた
私は何者であるかということを理解した
そしてそれから
その中においてのいくつかのルールを
改正していきたいと思っていたが
私にはその時間がなかった
それは物理的な時間である
私は永遠であることを知っていたが それゆえ
それを伝えていく道を説いたのである
ただし理解者(弟子)が多くのことを
伝えてくれたか
といえばそうではなかった
理解者も道半ば で恍惚の喜びと言う形で
亡くなっていった
それゆえ真実のことを伝えるということにおいては
いくつかの訂正やいくつかの訳というか
解釈があった
それらの解釈の一つが
バラモンであろう(※ヒンズー教のこと )
人々の中において
都合の良く書き換えられたのもあるし
彼らが理解しやすい形に
書き換えられたものはある
新しい時代において
新しいルールが必要の様に
新しくなっていくべきものであろうが
古き物にしがみつき
それがすべてであるという
そこを持ちそこを外すのであれば罪
罰を与えとする者は
真実の道ではない
それ説くということ自体 私はしていないから
私はその真逆を説いた
それらの者を許しなさい
そして追放したいのであれば
己が内の中に誰かを責めようとする心を
追放しなさいということを説いた
そう全てを許すということを
言ったのである
それ故、全てを許した
そしてすべては許されてきたのである。
それと同時に大いなる
私であることに気づいた
それは大いなる私である 宇宙である
あなたであり
私であることに気づいた
そにに何の差もない
それこそが真の悟り
その喜びたるや 大いなるもの
さあ、あなたも 励め
交わり(性行為)は良くないですか?
お釈迦様>私は交わりを禁止した覚えはない
交わりをするという事において
一部の中では欲にまみれるとか
世俗を抜け切れないと思う者がいるが
真の営みと喜びに溢れる生活は
とても幸せなものであり
そして人間の中でそのような事になろうが
愛は決して衰えるものではない
愛が永遠にあるということを
気づくのであらば
その子孫の先々にも
愛を見ることができる
それはとても美しい
すばらしい恋ではないであろうか
そのことにおいて
繁栄していくということにおいて
私は訂正したいと思う
修行者の道として間違った形の
特に女性たちが虐げられたり
様々な奴隷的な形になることに対して
区分けをしたと思うが
その聖なる結婚に対して否定したつもりはない
後の者たちによって改ざんされた可能性がある
規律というかルールあったのですか?
お釈迦様>
教団の中では乱れていくことが
修行の中で妨げになることがあり
そこに置いての戒律、一線のルールはあった
教団から出た者に永遠に
結婚してはならないという事は説いてはいない
それは人間とって必要なことであり
仏となるもの
仏の道を選んでいく者の中に
聖なる交わりということが入ることによって
大いなる繁栄があるという事は
インドでもそのような仏像に見られるように
タントラとかエネルギーを漏らさずに
昇華していくようなこと
様々な奥義があった
それを極めていくものが
修行の道でもあったが
庶民の多くの人達は皆
繁栄し 子供を持ち
年を迎え喜びをもち
この地を去るということが
この地球のリズムでもあった
それを修行僧が大きく
変えるということを原則として
あってはならないと
私も気付いている
道を極めたい者が
そのような事をすれば
私の様になれるということで
非常にストイックになるということで
鞭打ってきたのだが
肉体を虐めることによって
得られるものは何一つもないと
いうことに私は気づいた
ありがとうございます。