B003【お釈迦様との歓談③】日本の宗教について

 

 

 

 

今の日本の仏教についてどのように

思われていますか? 

 

 

 

 

お釈迦様>それぞれの道を行くものだと

思っていただいた方が良でしょう

私を慕う気持ちや大いなる意識と一体と

なりたいという気持ちに意識が向いている

のであるが

 

ただ他の者たちを揶揄する者達に意識を向けたり

己が心磨きを忘れ 信じることを忘れてしまうと

他者にとって引けをとってはならないとか

もっと大きくせねばならないということで

磨いていくことに意識が向かなくなってしまう

そうなってくると見栄えを良くすることばかりを

考えてしまうのである 

 

真の魂は元々あるもので 魂を磨いていくこと

穂そぎ取りる事で 光輝くものであり

周りに固めていくものや

何かしらのメッキを貼る事で現れてくるものではない

 

それを間違えてしまう人達もいるのである

もっとシンプルに考えていけば

とても簡単なことである

 

その道は宇宙に通じていく衣を持って

下界、天には帰らない 帰れない

もちろん、お金もである

 

全て禊いで磨いていくことによって

上っていくのであるので

その道自体を仏教と私は説いた

 

その道自体を見間違うことなく

どの道を行くかということを説いて

見極める目を持っていくこと

 

そして多様な道を歩む者がいたとしても

決して批判せず 己が内を見つめ

そのような現象を表すもの

内側になかったかどうか見極めて行けば

 

己が内にあった そこと引き合わせ

その現象が現れてくる事に気付いていけば

他者を責めることなどできなくなる

全てが自分と一体、鏡であるということに

気づくであろう 

 

その鏡の様に研ぎ澄まされた心で

あるのであらば  映し出されたものに

何の意味があるかが理解できるであろう 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガンジス川に遺体を焼却して

捨てる行為についてどう思われますか?

 

 

 

 

お釈迦様>彼らの風習の中で

地に帰り 水に帰り

そして大河に帰りたい

地球に帰るという中で

それを浄化という思いでいる

あるものは鳥に帰ると

 

山で自然に返すという時点では 

それは古代から行なっている風習であり

魂の里帰りを祝うものである 

我々が今現在の者が止めろと言って

止められるものではないであろう 

なぜなら彼等はそれを

信じているからである

 

 

 

 

阿山>真理の法則からすると

あまり良くないですよね?

 

 

 

お釈迦様>今ほど環境が破壊されて

いなかったときにはそれでもよかった

水に浄化能力があった 

 

そして人口ももっと少なかったので

川も汚れなかったが

今現実的なところでもし言うならば

例えば抗菌や様々な

有害物質という面では有害であろう

ただ彼らはそれらを超えた

信仰を持つ事において純粋さを持っている

それを私から止めることはできない