A002【お釈迦様との歓談②】悟りについて

<お釈迦様の悟りについて> 

 

 

阿山>お釈迦様はどんな悟りを得ましたか?

 

 

お釈迦様>

ただ全てを捨てるということ

それは人間であるということ

を捨てるということになるが

自分が思っている思考や

今までの概念を全てを捨てる

というとてもシンプルなもの

元に戻るという事

着ているものを全てを捨てるという

 

 

私はそれを体を鍛えることを

食べ物もほとんど取らずに

そして乳飲み子の様な

生きながらえていく様に

とてもシンプルなものが

原点へ返ると思っていた 

 

そしてそれをすることで

確かに体が整ってはいった

のであるが それをせねば

ならないという非常に苦しく

苦行だと感じている者達も多く

半ば途中で挫折したり

それらのできないものに対して

揶揄したり様々な侮蔑を

くらわしたりするということがあった
 

つまりそこに

きる者とできない者

厳しいジャッジが入った

のである 判断がそれが

望んでいたものか?

といったら そうでは無い

 

 

私はあえて解脱者と言われるもの

脱落者という扱いになることを決心した

 

 

例えそのような何もできない

最低の人間だと言われたとしても

私には自由があり

そして私には全てのルールを

超えていく 信じていく

自分自身の己が仏の心があると

信じたからである

 

それを行うことによって

結果的には

私の中で見違えるほどの

力がみなぎってきた

 

それは

自分というものを超えた

大いなる神の意思、

仏の意志、創造主である

 

その時からである。

私が覚醒したのは

 

”全てを捨てる”

 

とはそういうことである。

 

 

 

 

 


   

  

阿山>私が思った悟りは

この宇宙の仕組みとか

過去現在未来をすべて

見通す能力を得たのだ

思ったのですが

 

いわゆる六神通力を

身に付けられたということ

ではないのですか

 

 

 

お釈迦様>身に付いていたとは思う

ただ身に付かなかったと

思う自分を責めはしない

 

なぜなら 前日よりも今日、

そして明日前進している

ことを信じているからである 

 

そこに一切のジャッジ

つまり判断 責めることを

やめることである

 

私はこれはできない

ここまでやったらやれないと思う

そういう自分を責めることにより

自分をいじめることによって

否定するということがない 

 

それは積み重なっていけば

いつか必ず花開く様に

そしていつか全てが

自由で解放される様に 

花開く時があると信じる心

それは信仰の力であろう

だから私はそれらのものを実感した。 

 

それらのものを痛めつけても

結果的には生じるものはない

殻を破る行為に過ぎなかった

ただ殻を破りたければ 

それをしても良いが

 

同時に責める心が生じる それは

自分を責めたり

他者を責めたりする

できなかったという思いである

 

その思いによる弊害の方が

何倍も大きいので

そのできなかったときに

自分を責めずに

最善を尽くすことで

邁進していけば

いつか必ず 種子は開く 

 

花は開くと信じていけば 

それは素晴らしい成果へと

結びつけられるで あろう 

それこそが仏の道であり

永遠の道である

 

一世代で無理であれば

次の世代に進んでいく

それぐらいの長い長い道ではあるが

その道は尊い道であり

歩むに等しい道であ る
私はそう理解している。 

 

 

 

 

 

阿山>六神通を身に付けるには?

またどうしたら内側が磨かれるんでしょうか?

 

 

 

お釈迦様>魂の光を

まず認識してください

自分とは何たるものか

何が足りない

何を満たされているのか?

どんな状態

あなた方のインナーチャイルド

という言葉であるなら

わかりやすいかもしれない

己が内なる子供を認識してください

 

 

その子を抱きしめて 

よしよしと

そして磨いていくように

魂の光を磨いていくように

そうする事で

自分に欠けてるものがわかってくる

かけてしまったもの  

それは遺伝子の修復にも値する

 

経験値の中で

自分自身が付けてしまった

様々な業(カルマ)や
様々な

不足感の誕生かもしれない

 

欠けているものを

綺麗に磨き整えていく為には


愛情と温もりが必要であるかの様に

自分自身をまず手で触って

愛するようにしてほしい

綺麗な光の魂が輝きだすように

 

 

そうなったとき

鏡の様に映るものは

全て神通力とみなされるであろう

なぜなら自分自身が

多数の光によって

また反射して

光として見やすくなるからである

それが磨かれてなければ

人からの情報や様々な”ブレて”しまったり

何か違うものを受け取って 

そうだと決めてしまったり

間違ったものを信じてしまうことになる

 

 

それ故 自分の中で

曇りなき自分になる為に

鏡のように磨ききっていくこと

それが一番の簡単であるし 

とてもシンプルである

 

そのためには磨いていくという事は

汚れを拭き 落とすということ

たくさんのものを重ねていく

高級なワックスがあるよりも

磨いていく努力や温もりや

信じる心も必要であろう

 

それらのものが

入っていけれれば 

いずれ人は磨かれていく

出てきたアカや

そして衣や様々な現象に

自分の意識を向けて 

それによって落ち込む事なき様に

出てきたものは感謝して

過去のすべてに帰っていき

平安のため学び

気づきであると

磨いていく事を

大切にしていくことによれば

本来 他者に

言うなれば興味もなく

 

そして自分磨きということに

意識を向けていくのであれば

決してブレる事は無い 

その時 神通力、神と通じる力は

自ずと出てくるであろう

 

なぜなら神そのものが

そういう存在であるからである

メイで磨きそして繁栄を信じる

そのものの心になる事により


共通として引き寄せられる

 

それ故

 己が精進を忘れないということである

心の中を見つめ続けること

何をしたらこうなるというものではない

 

自分の中にある真実を信じて

そして努力し

他者に対しておもんばかり

慈愛の心を持ち 

喜び溢れる毎日を送るために

何をしてあげられるかということを

発信していくのなら

 

おのずと光を変えていくであろう

その小さなことの積み重ねが

大きな光を放つことになる

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

 

※余談

5年くらい前の歓談ですが

大変深い内容ですね。

改め読み返して実感します。

 

みなさんが知っている

仏教とはまるで異なる教えで

あることがわかると思います。

 

仏教というよりは

今のスピリチュアルな内容ですね。

お経を唱えるとか 座禅とか

というのは後世の時代の

人達が付け加えたものです。

 

お釈迦様の時代には

経典などなく

このような

スピリット、魂や心の教えだったのです。

 

瞑想も近いですが

基本は考えない。無になるとは

思考しない。感じる。

自分の内側から湧き出る

直感や波動を感じることの様です

 

今後巫女さんの様な能力を

持った子供達が沢山登場します。

そのような準備がされているそうです

 

今、地球はこれから

宇宙との交流する時代へ

と向かう分岐点です。