私が生まれた時、父はまだ学生でした。

私は12月生まれなのですが、翌年3月には

卒業見込って状況で、この世へやってきたのです。

父は、あまり裕福とは言えない家庭で

育ったものの、学ぶことを諦めたくなかった

ようで、中学卒業後、単身で上京し

住込みで働きながら、夜間高校に通い

4年後、さらに大学へ進学したのです。

私が生まれたのは、その大学卒業を控えた冬。

何も記憶にないのは当然だけれど、私は

父の大学の卒業式に参列したんですって。


何ひとつ、記憶にないけれど…

生まれてきたことを喜び、たくさんの愛を

注いでくれた…そう…


私の記憶にあるのは、2年半後、弟が

生まれてきてからのこと。


とにかく、常に比べられ

(弟は)お母さんに似て、~だからかわいい❤️

(弟は)男の子だから(私)よりかわいい❤️

(私は)父に似て~だから憎たらしいけど

(弟)は違う

弟は、色が白い

弟は、二重

弟の髪の毛には、天使の輪がある

弟は、足が早い

弟は…弟は…


私は、お姉ちゃんなのだから弟の散らかした

おもちゃを片付けなさい

お姉ちゃんなのだから、譲りなさい

お姉ちゃんなのだから、我慢しなさい


私は、そんな風に比べられ卑下され育ちました。


父は、比べこそしないものの、とにかく

厳しく口うるさく、私が幼い頃は笑いあって

会話した記憶がありません。


過ぎたこと。

この世に産み、育ててもらったことは

感謝しかないし。

私は、次のバトンを渡す時、こんな気持ちは

渡せない、渡したくないって思ったから。

2人の娘に同じ思いをさせたくなかったから。

夫とは、力を合わせて子を育てることが

できなかったけど、ひとりで歯を食いしばって

やってきた。


それなのに、よりによって初任給を頂いたから

と、次女が食事に連れて行ってくれた日に

母は、言ったのです。

(長女)が、かわいい!(次女)もかわいいけど、

(長女)が一番!と。

そこからは、地獄絵図。



私の大事なかわいい娘たちに、なぜ順位を?

あなたはそうでも、私にはそのセンスがない。

一番、二番を決めなきゃ気が済まないなら

もう関わって欲しくない。


私で終わらせたかったから、歯を食いしばって

きたのに…

あの母の日以来、私は実家を避けて過ごして

います。

先日の父の日は、意を決して父の日目前の

金曜日に実家に行くと、たまたま

家の中から父が出てきて、母とは会わず、父に

プレゼントを渡せました。


仕方ないよな、って思うものの…

やっぱり、許せないって気持ちを今は優先。

我慢ばっかりして、良い子でいることは

誰の何の為にもならない。