しゅくだいカフェ批判~アンサーソング~ | ほんさんブログ

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㈱Snailtrack(朝日新聞販売店 ASA淡路・豊里)社長のほんさんが、「新聞販売店と学びの日々、ときどき子育て」を綴ります。

 

 

昨日は半年ぶりに徳島県のファミリースペース富田(しゅくだいカフェ@徳島)に行ってきまして、改めて

 

 

「これから来るであろう『子どもの居場所ブーム』は、地域密着企業が牽引していくべきだなー」

 

 

と確信しました。

 

 

 

 

 

「牽引していくべき」というか「牽引していかないとビジネス目線でも損だな」って感じです。

 

 

それぐらい七田さんのお店は加速しまくっていて、全国の新聞販売店のほとんどが「経費削減」に追われまくって社員を減らし続けている時代に、増収増益で毎年2名以上の社員を増やしています。

 

 

特にしゅくだいカフェを始めて2、3ヶ月経った頃からまごころサポートやハウスクリーニング、リフォームの引き合いが爆発しているらしく、「今年は更に人を採用しまくらないと追いつかない」とのこと。

 

 

正直(株)Snailtrack、負けてます笑い泣き

 

 

 

 

 

 

そんな中、話題は「しゅくだいカフェ批判」について。

 

 

「本業は何なの?新聞に集中しろよ!」

「え?それって儲かるの?儲からないことに時間と労力割くの?」

 

 

みたいな昔流行った化石のような批判ではなく、しゅくだいカフェの取り組み自体についての批判も最近は聞こえてくるようになってきました。

 

 

これ、2つの意味でぶっちゃけ嬉しくて、

 

 

1つは「批判されない(誰でも理解できてしまう)事業はもうすでに時代遅れ」ってことと、

 

もう1つは「批判された部分は実際に理論や価値観が脆弱なことが多いので、その補強になる」ってこと。

 

 

なので基本スタンスは批判大歓迎っす。

 

 

 

 

でも、しゅくだいカフェの批判で時々ある(こども食堂にもこういう意見多いらしい)

 

 

「子どもに施しをするんじゃなくて、生きるチカラを身につける場所にするべきでは?子どもにタダ(や低額)で何でも与えるのは間違った教育だよ。」

 

 

みたいな(言い方はそれぞれですが案外こういう系多い)は、

 

当事者に直接言うのは全然OKなのですが、SNSだったり当事者のいない所で誰かに言うのは赤っ恥をかくのでやめておいた方が無難だと思われます・・・笑い泣き

 

 

 

僕は専門家ではありませんが、少しでも子育てや教育を学んだ人が聞いたら、

 

「わわ、ヤベーやつが喋ってる」

 

と思われます。

 

 

 

 

説明しますね。

 

 

 

まず大前提として

 

「何かをしなければならない子どもは存在しない」

 

ってこと。

 

「無条件で守られる存在が子ども」ってことを押さえておかないといけないです

 

 

「子どもの義務」ってイメージすると、唯一「義務教育」って言葉が浮かぶと思うのですが、だから

 

「勉強だけは子どもの義務でしょ!」

 

という大人もいるけど、子どもの勉強は「権利」であって「義務」じゃない。

 

義務があるのは保護者で、保護者は(小1~中3の)子どもに「勉強をさせる義務がある」ということ。

 

権利とは「使う、使わないを選べる」ということなので、子どもは勉強したくなければしなくていいけど、保護者はさせようとする努力を怠ってはいけない。

 

ちょっとややこしいかな?にやり

 

 

 

 

 

次に、

 

おそらく前述の否定をしてくる人って、「人生を自分なりに這い上がってきた自負」みたいなものがあるんだと思うんですね。

 

 

人は「本当はやりたくなかったけどやるしかないから頑張ったこと」を過大評価する傾向があるので(詳しくはコチラ)、

 

好きなことで頑張ってる人は他人を否定しないけど、実は(そうは見せない)嫌々頑張ってる人はスゲー人を批判します。

 

 

でもまぁ頑張ってきたので本当の社会的弱者(って言葉は好きじゃないけど)になったことがない。

 

だから「魚をあげるんじゃなくて魚の釣り方を教えなさい」みたいな話が好きなんですが、それを当てはめるのは中学生以降(目安ですが)からにすべきかなと思ってます。

 

少なくとも小学生以下の子どもに立派な大人の「自己責任論」を押し付けるのはナンセンスというか、下手をすれば虐待ですから。

 

 

とか言うと

 

「いや、教育って要は自立させることが目的でしょ?だったら・・」

 

という声が聞こえてきそうです。

 

 

僕もそれはそう思います。

 

ただ段階があるってことです。

 

 

 

日本の子どもの自己肯定感が世界的に見て著しく低いことはニュースにもなってるので周知されてますが、これって僕はめちゃくちゃ深刻だと思ってます。

 

自己肯定感とは「自己を肯定する力」「ありのままに自分を受け入れる力」なので、これが低いと著しくQOL(quality of life/生活の質)が低下すると言われています。

 

 

自殺率が高いイメージもある日本ですが、全体的にこれは減少傾向にあるものの、実は若者(15~24歳)の自殺率は90年代以降ずっと上がり続けていて、現在も世界トップレベルです。

 

 

自己肯定感が低い⇒QOLが低下⇒自殺率が上がる

 

 

ですね。

 

 

 

自己肯定感はよく「子どもを褒めて育てればいいんでしょ?」と言われるのですが、褒め方がめちゃ重要だったりします。

 

保護者や周りの大人から

 

「〇〇くんは勉強できるから偉いね!」

「〇〇ちゃんは努力できる才能があるから素晴らしいね!」

 

 

と言われ続けると、「有能感(俺ってできるヤツ)」は上がるけど、自己肯定感は上がらない。

 

 

 

だって、

 

「俺は勉強ができるから存在価値があるけど、成績が下がったら必要じゃない人間」

「私は努力できるから大切にされるけど、努力しなくなったら大切にされない存在」

 

と思わざるをえないメッセージを送り続けられているからです。

 

 

 

自己肯定感は、「許しのメッセージ(交流分析で言うアロワー)」を送り続けることで育まれていきます。

 

「あなたはそこにいるだけでかけがえのない存在なんだよ」

 

というメッセージです。

 

 

 

自己肯定感は幸せな人生を送る上での土台のようなもんです。

 

これが低いと、人生ですごくモテたり仕事がうまくいったりしても「俺なんかがこんなラッキー続くわけない」と考え、

 

うまくいかなくなると「やっぱり。俺らしいや」と納得する。

 

そうやって低い自己概念を定着させ、不の連鎖を繰り返していく。

 

 

逆に自己肯定感が高いと、仕事が順調でも失敗続きでも自分らしく生きていけます。

 

 

 

 

ダラダラ語っちゃいましたが、まとめると

 

幼少期から小学生ぐらいまでの子どもに「生きていくチカラ」を備えることが目的なら、

 

僕はダントツで「自己肯定感を育む環境づくり」だと思うのですが、いかがでしょうか。

 

 

※さぁ、ここまで読んで冒頭の批判を再度読んでみましょう笑い泣き

 

 

 

 

 

 

あらためて、僕たちは「子どもの居場所づくり」をやっています。

 

「居場所」とは、物理的な居場所でもありますが「心の居場所」でもあります。

 

 

自己肯定感を育む心の居場所に必要なのは、

 

「何かを得るためには何かを差し出すべきだ」という生贄の心理ではなく、

 

「許された記憶」なんですよね。

 

 

 

 

 

 

最後に

 

 

最近はどんな良いことを言っても、もっともらしい批判をしても、

 

「で、あなたは何をされてるんですか?」

 

と聞かれる世の中になりました。

 

 

僕はとっても健全な変化だと思っています。

 

 

なので全国でこども食堂やこどもの居場所を運営されている皆さま、

 

もし活動に対して何か批判された時は、まず

 

「それであなたは子どもたちのためにどんな活動をされているんですか?」

 

と聞きましょう。

 

 

 

その上で、実際に

 

「当初思い浮かべた活動の内容からズレてきてるかも・・」

「目の前の課題でいっぱいいっぱいだったけど、見直さないといけない部分があるな」

 

と思うところがあればぜひ補強して、心の中でご批判に感謝すればいいのかなと思います。

 

 

 

僕たちは思い切り自己責任論で、ハードワーク爆発で頑張りましょうーー!!