感謝することを知らない生き方ってどんなもの? | 女好き女の日記

女好き女の日記

女の人を愛でる日々。

付き合う前にもっと気にしておけばよかったかな、と思う違和感の元の一つが


「最近になってやっと、感謝して生きることが分かってきた」


という元カノの言葉だ。




私と付き合い始めた時点で半世紀近く生きていた人が
この台詞を平気で口にできてしまうのは

結果的に、やっぱり色々まずかった。



「そうなんだ、良かったね~」

と返してはいたものの、

心のどこかでいつも引っかかっていた。




「asaminちゃんはいつも色々なことに感謝しててすごいね」

とも言われた。









感謝する。


それはただ単に“ありがとう”という5音節の単語を言う/言わないの問題ではなく

なにかしら心のこもった行動にも表れるものなんだと思う。





では、感謝しないとはどういう感じなんだろうか。



誰かの親切、提供される商品やサービス、
自分や相手が存在していること
自分の努力だけではどうにもならない“縁”みたいなことなどを

当たり前だと思い
それが有ることが貴重なことだと思わない/気付かない

ということ…だろうか。






たしかに元カノには
一歩間違えれば横柄な印象を与えかねないところがあった。


不躾さとフレンドリーさを履き違えているというか。




自分は誰に対しても公平に接したいと思っているのに

その公平さが気に入らない人、偉いと思われたい人、目上の人からは嫌われる

とよく言っていた。








そして基本的に他責的だった。



進級できなかったのは先生のせい

自分の不調は放射能のせい

Wi-Fiの減りが早いのはハッキングされているせい

等々。




何か諍いになると

「私のせいだって言うの?!(=私のせいでは無い!!)」

と絶叫した。





他責的な言動と対を為すように

“自分が紹介してあげたおかげ”

という発想も常に見られた。



自分には影響力があると思いたかったんだろうか、

紹介してくれたおかげだよ!と感謝されることで

承認欲求を満たしたかったんだろうか。





紹介して双方から感謝されたエピソードをいくつも聞かされたが、

謙虚な人ならいちいちそういう自慢はしないのでは…と内心思っていた。




そして私にもその“紹介の影響力”を発揮しようとしたことがあるのだが

それに関しては全く上手くいかなかった。




付き合い始めの頃、

あまりに勧められるので言われたとおりに「◯◯さんの紹介なんですが」

と書き添えて、ある人にメッセージを送ったのだが

そこには一切触れられていない事務的な返信が来ただけで

私もその人と繋がる必要がそれほど無かったため

やり取りはすぐ終了した。





それを報告すると

「あれぇ、おかしいなぁ…ちゃんと読んでないのかも。

もう一回私の名前を出して送ってみなよ」

と言われたが、

誰かの紹介であることを畳み掛けるメッセージなんて送りたく無かったのでやめておいた。




それ以降も何回か

また別の人を紹介してあげよう、繋いであげようみたいなことを言われたが


その人に興味がなかったし

私は元々誰かの口利きで得したいという感覚が薄いので

全て、やんわりと断った。




きっと私にこう言われたかったことだろう。

「貴女のおかげで助かったよ!ありがとう、感謝してるよ!」