断捨離も、し過ぎは考えもの。
しょうがねえ
が若い頃から口癖の父。
いろんなことが起きても、気持ちを断捨離して割り切ってきたように見えました。
父のこの言葉で家族が難局を乗り越えてこれたので
しょうがねえ
と割り切った後、てっきりどう改善するのか?に変容させて、思考と行動をしてたと勝手に勘違いしてたんだけど。
実は違ってたんだ…
って父が認知症になって、初めて知りました。
いや、子どもの頃から薄々 気が付いてたかも…?。
もしかしてトラブルが起きても、「あれ?ほったらかしにしてる?」ってこと…。
そう、父は
しょうがねえ の後
ほったらかしにして、見てみないふりで、
嵐が過ぎるまで苦痛に耐えて、ただやり過ごしてただけだったんですね
振り返れば辻褄が合う…。
苦痛に耐えて、仮に嵐は去っても
解決してないことって多いです。
いろんなこと思い出しても、時間が解決したこと以外、抜本的に解決してないことがほとんどかも。
だから今となっては、この考え方で頑固に押し通してきちゃったのがツケとなって、認知症を悪化させてる原因にもなってる
例えば。
痛い場所があっても、頑なに病院にいかないとかも、今起きてる問題。
明らかに治療が必要&治療すれば治るものも、謎の自己判断で「どうせ治んねえ」とジャッジ。
新しい学びもないからその判断基準が間違ってることが多く、でもそのことを伝えられても自分を否定された‼️って思い込んでキレまくる…。
変なプライドは強くなるばかりなのよね…。
さらに家族が心配して病院に行ったほうがいいよ、と心配したり話題に触れるだけでも、激昂してキレまくり大騒ぎ。
そんなことが日に何回も起こってる、ここ数週間。
かといって本当は痛くて辛くて、そのせいで日常に大きな支障が出てるのに
そこの認識はなくて、自分は出来てると思い込んでる厄介さ…。
これも認知症、あるあるなんでしょうかね。
自分の頭で考えて、問題を解決することを放棄してきたツケがこんな形で出てくるのね
そしてこれって、父の人生でクリアしなくちゃいけなかった、カルマの一つだったのかも…。
心や人生の問題は本人の問題。
だからわたしや他者がやってあげられることなんて、ないんですよね。
こういう身内の生き様を見させてもらってる事で
人は死ぬ瞬間まで、心を磨いていくことは断捨離しちゃいけないんだろうな。どんなにめんどくさくても。
って改めて肝に銘じてるわたす。
そしてそんな状況下でも、わたしにしてあげられることを探したなら、美味しい時間を一緒に共有することぐらいだから
今日もまた新しい美味しいレシピの、研究開発でも楽しみましょかね
自分のために料理してるから(練習&試作も兼ねて)
ストレスはないです。
それどころかアトリエにいたら、ろくに料理は出来てこなかったので
(時間がないので手抜き&栄養優先&部屋が汚れるので蒸し焼き料理オンリー)
料理の研究に没頭できるクリエイティブなこの時間は、神様からのギフトですね
いつだったかのランチ。
ランチにアラビアータ、食べたくて
でも朝もパンで小麦摂りすぎになるから
高野豆腐をパスタの代わりに半分投入
全粒粉のペンネと合わせて、パスタと違和感のない、大満足なアラビアータ、出来上がりました。
アメリカの元人気イタリアンレストランのシェフだったSteve兄さん直伝のトマトソースを応用して。
スティーブパスタにとうふ入れてみたよ〜!
ってメッセージしたら、
良いね!それにインスピレーション受けてディナー作るよ〜ですって。笑
美味しいは世界共通言語だなぁ。
Always Be Curious!