親友と久しぶりに再会し、京都へお散歩しに行きました
後白河上皇と言えば、保元の乱(1156年)
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第74代鳥羽天皇には3人の皇子=天皇候補がいたわけですが
崇徳(すとく)
近衛(このえ)
後白河(ごしらかわ)
鳥羽天皇の父親代わりの祖父、この3人の、ひお爺ちゃん
第72代白河上皇
なんと鳥羽天皇の嫁(璋子)とデキていた
そして崇徳さんはその子供…
自分の嫁と、自分のお爺ちゃんがデキてて、子供まで作っちゃった
かなり信憑性高いらしく、実際にも白河天皇は崇徳さんを可愛がり、鳥羽天皇をムリヤリ退位させて、崇徳さんを第75代の天皇にしてしまいます
そりゃ、鳥羽天皇も腹立つわな…
その後
➡︎ ①ジッチャン(白河上皇)が死ぬ
➡︎ ②鳥羽天皇の天下となる
➡︎ ③崇徳天皇を引きずり下ろして近衛天皇(実の子供)を無理やり即位させ(17歳で死亡)
➡︎ ④後白河天皇(実の子供)を即位させ
➡︎ ⑤鳥羽天皇が死ぬと
崇徳天皇 vs 後白河天皇
摂関藤原氏、武家 源氏&平家の、家族のイザコザがこの喧嘩に便乗して話がデッカくなり、2つに分かれて争いが始まります。これが
保元の乱
崇徳天皇チーム
弟 藤原頼長(よりなが)
父 源為義(ためよし)
弟 源為朝(ためとも)
叔父 平忠正(ただまさ)
後白河天皇チーム
兄 藤原忠通(ただみち)
兄 源義朝(よしとも)
甥 平清盛(きよもり)
親兄弟が真っ二つに分かれ戦った結果は、後白河チームの勝ち
そのあとまた後白河天皇チームの中で揉めだし、
平治の乱 ➡︎ 源平合戦と続きます…が、長くなるのでここらへんで止めないと
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さて、三十三間堂は保元の乱のあと、1160年前半頃、後白河上皇が平清盛に命じて建設されました。
には千手観音像があるのはご存じですよね
写真撮影禁止なので、画像お借りしました(´C_` )
まさに圧巻 カッコイイ
京都で1番好きなお寺です
三十三間堂という名称は、本堂の柱の間の数が、33本だからといわれています。1001体の観音像の中には、会いたい人に似た顔が必ずあるという不思議な伝説がありますよ
ところで、負けた崇徳天皇は隠岐国に流され、鬼となり、史上最悪の怨霊と化してしまうのですが、百人一首のこの歌大好きです
最後まで読んでいただきありがとうございました♪
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