お金の話 | asamatoenosimaのブログ

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毛色が変わってお金の話を数回

まずは 自分の経験から「お金が無いとは、、、 」という原点の話
S市で大学6年間を過ごし、それを引き払う数日(1日かな)の出来事。
当時必要なお金は 毎月はがきで「これからいくらかかるので これだけ送って頂戴」 と親へ連絡していた。最後の1ヶ月分もそのつもりで現金書留で送ってもらっていたと思うので、それなりの費用の予定はしていたものと思う。
ところが多分最後の日と思うが
布団、本等の所持品を自分で下宿のおじさんの2トントラックを借りて貨物駅まで持って行った。トラックを借りたんだから御礼をと 確か煙草を何箱か渡した。残りのお金が少なくなり 歩きながら「持っているのはカメラくらいで これを質に入れたらいくらかは貸してもらえるか?でも引き出すにはまたS市に来ないといけないからダメか、、、」とか 「そうだ パチンコで稼ごうか、100円だけでも つぎ込んでみよう」とパチンコ屋へ入ったのを覚えている(結果は 損だけだったと思う。1年生の頃からパチンコ屋へも通い 当時は違法の景品のガムか歯ブラシと交換し 秘密の陰に隠れた小さな窓のある所で現金に換え それなり儲かることもあった)。でも 今は亡きNSから「おい 最後だから事務のK嬢と飲んでいこう」と誘われており、当時流行っていたマンモスバー(?)へ行って、お金が無いので あまり飲めずにひやひやしながら過ごした(と 思う、はっきりした記憶が無い)。その後 二人で夜行列車に乗り お酒も少し買って ぎりぎりに帰ってきた。翌朝 故郷のK駅に着いて そこからバスの乗るのだが、家に着いた時にはポケットには10円か20円しか残っていなかった。
この経験は自分にとっては忘れられないもので(上記のように記憶はかなりあいまいになっているが) その後

お金に余裕を持つことにかなり気を付けるようになった。

続いて 身近な従兄の人たちのウソのような本当の話
GNGさんの次兄は戦前に東京上野の鉄道関係の学校(多分 岩倉鉄道学校)を出て、満州へ行き 満鉄の駅長(まあ エリートだったんだろう)をしていたとか、羽振りも良くて奥さんも煙草を吸っていたとか。この伯父さんも若いころには結構お金の使い方が荒くて お爺さんのKKRさんは「もうあいつには何もやらなくとも良い」とか周りにしゃべっていたとか。でも敗戦で日本に引き揚げて来たときには 2階建ての家を建ててやっていた。

ここの従兄のISMさん(長男)はいろいろと問題を起こしてた(正確なことは知らないが)。まずは引き揚げてきてから農協に勤めたようだが、農協のお金を使い込んでどこかへ夜逃げをしたようだわしの子供の頃はこの従兄は見た記憶が無い。

弟のYSSさんが自衛隊へ行ったり、その後は地元の中堅の会社の工場へ勤めていた。
昭和40年ごろISMさんが実家へ帰ってきて親と同居し、農業を真面目にやっていた。わしの家の土地にも桃を植えて果樹農家としてそれなりの規模の仕事をしていた。
兄貴が帰ってきたので弟のYSSさんは埼玉へ行き、真面目に働き、奥さんはゴルフ場のキャディさんもしながら立派な豪邸も建てた。その後、兄貴のISMさんの不祥事で父親の最後の面倒も見ていた。
 

わしが就職するときは家で祝いをして ISMさんも来てくれて、ネクタイの結び方を教えてもらったのを覚えている。
 

わしが中学の時知っていた先生(事務の人?)と結婚して 女の子が二人いた。新婚の頃は仲が良くて ISMさんが奥さんを自転車の後ろに乗せてバスの停留所まで送って行っているのを見たこともある。
 

ところが(人のそれとない話からの類推だが)、町の繁華街で「お兄さん、お兄さん」とおだてられ ばくちに手を出して,そのツケで家や土地全てが他人の手に渡ってしまった。当時は高額納税者が公表されており、土地所有名義の伯父さんの名前も出ていたくらいだ。
また村の公民館の役を担当していた時 村のお金にも手を付けてしまったという話も聞こえてきていた。
さらに最後は飲酒運転で交通事故を起こし、離婚もして、亡くなってしまった。
(話、事件の前後関係は少々間違っているかも)
 

でも その後 弟のYSSさんとはゴルフを一緒に楽しんだが、ゴルフの後の懇親会の時に「兄貴(ISMさん)はいろいろ問題を起こしたが、満州から帰れたのは兄貴の才覚があったからだ、ありがたいと思っている」と話していた。YSSさんも10年前に75歳で亡くなってしまった。
 

ISMさんも本当は「いい人」なんだが どこかでお金の使い方を間違えてしまった という教訓話