変なタイトルですみません。 これは私の「ウイニンフポスト」の中の架空の話です。

私のウイニングポストでは、玉ノ井騎手は牝馬三冠以外のG1を勝ちまくっています。

牝馬三冠は「シスタートウショウには角田」という私のこだわりで譲れません。

 

 昔はこの時期になると「浦安特別」の玉ノ井騎手の事故を思い出して憂鬱なっていました。 

当時、私の勤めていた会社が稲葉厩舎とお付き合いがあったので、玉ノ井騎手と全く面識が無かったわけではない。 

初々しい好青年との印象を持っていただけに悲惨な事故て亡くなったと聞いて、親戚が亡くなったような気持ちになった。

 玉ノ井騎手は初年度から2勝→15勝→27勝と着実に力をつけて上手になっていたように思う。

 

 競走中の事故で亡くなるのは馬ばかりではない。

 玉ノ井騎手の他にも、思い当たるだけでも、岡騎手、斉藤騎手、竹本騎手、石井騎手・・・と少なくない。 

玉ノ井騎手を思い出すたびに、競馬は人馬共に危険なスポーツだと思い知らされる。

 父の介護も7年になり、少し余裕が出たので玉ノ井騎手を思い出してこのような記事を書いてしまいました。

連日、ロシアのウクライナ侵攻のニュースが報道されている。
その中で印象的だったのは、ウクライナの婦人がロシア兵に向かって「何しに来た!」と皮肉交じりに抗議していた場面だ。
それを見て庶民の逞しさを感じたのと同時に威嚇もせずに黙って婦人の抗議を聞いているロシア兵の姿も印象的だった。
誰も望んでいない戦争で多くの犠牲者が出るのはやり切れないし許せない。

こんな時、政治家、マスコミ、一般の人とそれぞれの立場で「戦争は許さない」という意思表示をする事が大事だと思う。
軍事評論家の解説よりも「戦争は許さない」という姿勢が見たい。

今回はそのロシアがソ連だった頃のソ連の名馬アニリンを紹介したい。
昔読んだ本なのて記憶が曖昧な所があるのをご了承下さい。
アニリンは大種牡馬ノーザンダンサーや日本のシンザンと同じ1961年生まれでソ連の三冠馬である。
3歳時に東側社会主義国で無敵となったアニリンは4歳から6歳まで毎年、強敵を求めるように西側諸国に遠征した。

当時、電車を乗り継いで移動する等の不利な環境の中で大崩れせずに頑張った。
ワシントンDCインターナショナル(1994年廃止)で歴史的名馬ケルソの3着に頑張り2度目の挑戦では2着となった。

凱旋門賞でもシーバードをはじめとした強豪相手に5着と健闘した。

6歳で引退し種牡馬となりソ連のリーディングサイヤーとなったが、14歳の時に事故で亡くなってしまった。

今何故か東西冷戦時に西側諸国とのささやかな交流をした1頭の馬を思い出す。
そして彼の頑張りが少しでも平和に貢献したと信じたい。
そんな気持ちの今日この頃である。

今回紹介するのは第37回皐月賞の優勝馬ハードバージです。
この年のクラシック戦線は天馬トウショウボーイと流星の貴公子テンポイントが激突した前年に比べていま一つ盛り上がりに欠けた感じであった。
それは誰もが認める世代の最強馬に出走権が無かったためである。この皐月賞で1番人気に支持されたのが朝日杯3歳Sでマルゼンスキーに2.2秒も離されたヒシスピードでは興味が半減するのは仕方ないのかもしれない。

レースは天才・福永洋一騎乗の8人気ハードバージが疾風のような鮮やかな追い込みで優勝し、巨漢のラッキールーラが2着に入った。
続くダービーでは先行したラッキールーラをクビ差捉えきれず2着と敗れた。
競走後のハードバージは真っ直ぐ歩けないほど疲労しており、厩務員と調教助手は「こいつ、こんなになるまで走って」と涙した。
ダービーでは皐月賞で見事な騎乗でハードバージを勝利に導いた福永洋一騎手はハードバージの背中にいなかった。
福永騎手はダービーではホリタエンジェルという馬の背中にいた。ホリタエンジェルの中尾調教師は新馬の時から福永騎手に騎乗を依頼して「ダービーに出れたら福永騎手に乗ってもらいたい」と福永騎手に言っていた。
福永騎手は皐月賞馬の背中よりもその約束を守ったのである。
後日、福永騎手が落馬事故で再起不能になり、ダービー未勝利のまま引退した時、中尾調教師は「こんなことならば、洋一にはハードバージにそのまま乗ってもらったほうがよかった。悪いことをした」と語っていた。

ダービー後、ハードバージは屈腱炎を発症。再起を図って治療が試みられたが回復に至らず、ダービー以降出走のないまま1980年に引退した。

引退したハードバージは種牡馬となったものの産駒に恵まれずに、去勢して乗馬クラブに譲渡された。
しかし乗馬としての適正に欠けて、わずか3ヶ月で観光乗馬センターに。
そして、イベントやホースショーに参加したりしてたが中世の騎馬戦をテーマにしたホースショーで鎧を含めて90kg以上の人を乗せ炎天下で3週間という長い期間の重労働で急激に衰え、飼葉食いも細くなり日射病で亡くなってしまった。

ハードバージの辿った末路は新聞記事で取り上げられ、JRAにファンから「活躍馬の余生を考えて」とのクレームがあったと聞く。

だけどハードバージは馬好きな老人に世話をされて最期は大往生だったと聞く。彼は彼なりに精一杯生きたのだと私は思う。決して悲劇だとは思わないで欲しい。
少なくともハードバージは観光客を楽しませ、観光乗馬のスタッフに最後まで必要とされて逝ったと思う。

一方、クラシックを争ったライバル・ラッキールーラもトチノルーラ(きさらぎ賞)を輩出したが、韓国に種牡馬として輸出されて行方不明となってしまった。

のんびりと余生を過ごせる馬はほんの一握りなのかもしれない。しかしそれは人間だって同じようなものだと思う。

※馬齢は現在の数え方に合せるが、レース名は当時のまま表記。

約2年ぶりの記事になりますが、宜しくお願いします。
復活第一弾は大好きだった天馬トウショウボーイ産駒で忘れられない馬、この馬の余生のために何度か寄付した馬を紹介します。

サクラロータリーの父は当時すでに中央競馬史上3頭目のクラシック三冠馬ミスターシービーなどを出していたトウショウボーイ、母の父は史上2頭目の三冠馬シンザンという内国産では当時最高の血統背景を持っていた。

2歳の9月にデビューし、新馬、りんどう賞をいずれも2歳馬離れの走りぶりで連勝し、この時点で2歳馬の筆頭格、翌年の日本ダービー優勝候補の呼び声も高かった。 特に2戦目のりんどう賞では後のダービー馬メリーナイス(ダービー・朝日杯3S)を差し切って大物の片鱗を見せていた。このレースでのメリーナイスとの着差はアタマ差だったが余裕のあるレース振りで3着以下とは4馬身離れていた。メリーナイスがダービーを6馬身差で圧勝した事を考えると“来年の三冠馬”と言われた事も納得できる。

しかし、デビュー3戦目の府中3歳S(現・東スポ杯2歳S)でレコード勝ちし3連勝するがレース中の故障であっけなく競走生活を終えた。
レース中に最内を突いた際にラチ(柵)にぶつかってしまった事による左後脚の繋靱帯断裂がレース後に判明し、競走能力喪失と診断されそのまま引退した。
このレースでも故障しながら2着のスズラバンに競り勝ち、後に皐月賞・ダービーで1番人気となる3着マティリアルを4馬身後方に置き去りにした。

そんなサクラロータリーの突然の引退は多くのファンが惜しんだ。
サクラロータリーの主戦騎手だった小島太騎手は、サクラスターオーが皐月賞・菊花賞を制した時にサクラスターオーについて聞かれると、能力を認めながらも「ロータリー以上とは言わないけど」と悔しさ一杯に語っていた。

もちろん馬は2歳と3歳では成長もするし実際はどうなったかわからないが、本当に無念のリタイヤだった。

高い潜在能力は種牡馬としても期待したが、サンデーサイレンスをはじめリアルシャダイやトニービンといった大物輸入馬やG1ホース優先の生産界では肌馬(繁殖牝馬)に恵まれず、産駒はサンエイキッドがクラシックの伏兵をつとめた程度でパッとしなかったのは残念である。

しかし、ほんの短い間だったがクラシック最有力候補として夢を見せてくれたサクラロータリーの凄味は忘れられない。

種牡馬引退後は引退馬を支援する「ノーザンディクテイターの会」の援助を受け、北海道静内町の天羽禮治牧場で余生を送り、2013年に老衰により29歳で亡くなりました。

天羽禮治牧場では、のんびり病気一つすることなく、家族の一員のように過ごし、最期は「ノーザンディクテイターの会」の方も駆けつけ、牧場スタッフと共に見守る中、静かに旅立った。

※馬齢は現在の数え方に合せるが、レース名は当時のまま表記。
 

 

有馬記念は1番期待していたリスグラシューが思っていた以上に強い勝ち方をしてくれた。
Dレーン騎手の上手い騎乗もあったが、リスグラシュー自身も強くなっている感じだった。

8着のヴェロックスは今の時点では明らかに力不足。
2着サートゥルナーリア、3着ワールドプレミアとクラシックを戦った馬達に水を開けられた感じがした。
やはり2着3着と勝つべき時に勝てない馬は弱い馬だったと思って、調教師の先生は無理にG1を使わずに力が付くまで地道に使って欲しい。

アーモンドアイは馬体の異変なのか?気持ちの問題なのか?最後は力を抜いて走っていた。
ルメール騎手も無理をさせなかった。
この馬は、あまり無理をさせるよりももう引退させても良いと思う。
今まで充分に楽しませてもらった。馬主や調教師がどう判断するかだけど・・。

応援していた馬が引退レースで圧勝してくれて最高の有馬記念だった。

 

明日(12/22)の有馬記念に7枠14番でヴェロックスが出走する。
川田騎手がキセキの時のような積極的な競馬をすれば面白いと思う。
でも菊花賞を見る限り勝つまでは想像できない。

このレースはリスグラシュー、スワーヴリチャード、シュバルグランとハーツクライの産駒が3頭出走する。
私は3枠6番のリスグラシューに期待している。
近年の競馬は力で押し切る競馬よりも、切れ味勝負の競馬が主流のように思う。
そんな背景がブエナビスタ、ジェンティルドンナなど近年の牝馬の活躍を後押ししている気がする。

そう考えるとスワーヴやシュバルよりリシュグラシューに期待してしまう。
コックスプレートや宝塚記念の勝ち方をみるとアーモンドアイに充分対抗できるように思ってしまう。

アーモンドアイ以外にもサートゥルナーリアやR・ムーア騎乗のキセキも不気味だ。

有馬記念は一応、ヴェロックスの複勝とリスグラシューの単勝を買おうと思う。

 

 

今日(R1.11.24)、ジャパンカップで応援していたスワーヴリチャードが英国リーディングのO.マーフィー騎手に導かれて優勝して喜びに浸っていたら、突然悲しいニュースを耳にした。

京都競馬場の12レース京阪杯の3コーナーで3歳馬のファンタジストが急性心不全で突然転倒してそのまま逝ってしまった。
騎乗していた浜中騎手は複数個所の骨折や肺挫傷の重傷で病院に運ばれた。

ファンタジストは小倉2歳Sでいいレースをしていたが、京王杯2歳Sでアウィルアウェイに詰め寄られながら競り勝った時もスプリングSで競り負けて2着に負けた時も「実力はあるけれど特に・・」という印象だった。

その後二桁着順が続き「思ったより弱い?」という感じになった。

そんな馬が最期に「急性心不全」でレース中に突然亡くなってしまった。
こんなカタチでインパクトを残してくれなくてもよかったのに・・。

別に大敗しても時々好走して楽しませてくれればよかったのに・・。
無事に長く走ってくれれば、ファンも君に愛着を持ってもっと楽しめたかもしれない。

競走馬がレースで亡くなるのはとても悲しい気持ちになる。

 

16日(土)の東京競馬場で行われたユートピアSでスイープセレリタスは2着だった。
前を行くメイショウグロッケに完敗して、3着アクアミラビリスに詰め寄られる競馬に少しがっかりした。

勝ったメイショウグロッケは左回りのマイルは好走が多いし、前走は突き抜ける良い競馬をしていた。
3着のアクアミラビリスもエルフィンSで強い勝ち方だったし、桜花賞やオークスにも出走している。
そう考えると悲観する事もないのかもしれないが、やはりもの足りない気がした。

オープン馬にはなると思うが、G1で勝負する馬になるのはまだ程遠い感じがする。
これから経験を積んで徐々に強くなって欲しいと思う。
 


16日(土)に東京競馬場のユートピアSにスイ^プセレリタスが4枠4番で出走する。
前走のローズSで強い相手と厳しい競馬の経験で少しは成長してくれたらいいのだか・・。

同世代の3歳牝馬3頭あたりが相手になるような気がする。

いずれにしてもここでどんなレースをするかによって今後の期待が違ってくると思う。
もちろんどんな結果でも退厩まで応援するし、引退後も見届けたいと思う。

 

 

京王杯2歳Sは1人気のタイセイビジョンが最後に突き放して見事に勝った。
道中少しかかり気味だったが、直線入り口で苦しい位置から前が空くと抜け出してから、直線半ばまで脚を貯めて最後の200mから追い出して2馬身突き放した。
ルメール騎手の見事な手綱捌きもあるが、それに従う馬の賢さも感じた。
見事な勝利だった。

注目していたヴァルナはオープンのペースに付いて行くのに精一杯という感じだった。
それでも最後粘って3着を確保したのは地力があると思った。

カップッチョは相変わらず最後まで一生懸命走って大敗はしなかった。
そういう馬だから間隔を空けて成長を待って欲しかった。

最初にカップッチョを見た時と馬体に成長が感じられない。
もともと筋肉がつきにくい体質なのかもしれないが、地道に乗り運動や引き運動をしていればもっと馬体は成長するはずだと思う。
あらためてカップッチョは間隔を空けて地道な運動で馬体の成長を待つ方が良いと主張したい。