浅草鮪組®︎の舞台裏

浅草鮪組®︎の舞台裏

浅草鮪組®︎一座の座長が綴る舞台裏。日々の活動や珍事件などを座長視点の”主観”でお伝えします。

日本人はマグロが大好き。2015年5月、エンターテイメントの街「浅草」で生まれた五感で楽しい飲食エンターテイメントをお届けする浅草鮪組一座です。
目の前でさばかれた生のマグロが食べられる「マグロ開体演舞(マグロの解体)」は、イベント・パーティー・ご宴会などでその力を発揮します。

4月のスタートは浅草鮪組®︎にとっても、個人にとっても多忙なものとなりました。

 

兼ねてから準備を進めてきた浅草鮪組®︎『マグロ開体(解体)実演移動販売車』つまりはキッチンカーの営業開始。まずは、埼玉県内一円の営業許可を取得し、続いて東京都内一円の営業許可を取得。

 

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初陣は4月5日(金)、埼玉県上尾市今泉の十連寺隣の駐車場をお借りしてのマグロ開体(解体)実演販売。サクでたくさん買っていただきました。実際にキッチンを使ってみると足りないものや直したい所などがいろいろ見つかるものです。

 

使用したマグロは豊洲市場厳選直送の天然インドマグロ(NZ産:約30kg)。色鮮やかな美味しいマグロでした。

 

当ブログは「舞台裏」ってことなんで、私事になりますが、一層忘れられないデビュー戦となったのでした。

 

初陣の前日となる4月4日は、父の13回忌でした。2012年(平成24年:辰年)4月4日、たまたま見舞いに行った日に危篤となり、その瞬間を見届けたのでした。

 

 

あれから丁度12年後の2024年(令和6年:辰年)4月4日、早朝から母の容体悪化の連絡を受けて駆けつけたその日の深夜23時56分、その瞬間を見届けたのでした。

 

 

 

看護師さん曰く

「看取れたことはきっとお母様にとってはよかったんだと思います。ほんと貴重な体験なんですよ。ずっとそばで見守っていてもちょっとトイレに立った間に…とかちょっと自販機に行ってた間に…等で看取れないことが多いんです。」

 

確かにそうかもしれないです。あまり聞かない話だし…。でも私は、父も母も同じ光景で見送ることができたのはとんでもなく幸せなことなのかもしれません。しかも辰年の4月4日という日も共通しています。父からも母からも溺愛されたひとりっ子でしたが、安心させることなく心配させながら逝かせてしまったことが残念でなりません。

 

 

祖父の跡を追い生涯、寿司職人として生きた父は

「食うに困らないよう、手に職をつけろ」

といっていました。

 

 

 

祖母に舞踊や三味線を厳しく叩き込まれた母は、

「芸は身を助けるというから芸を身に付け磨け」

といっていました。

 

 

 

包丁もマイクもさらに腕を磨かなくてはいけないとあらためて気を引き締められています。

 

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そんなに仲のいい両親ではなかったと記憶していますが、12年という時を経てまさか同じ日に同じ状況で逝くとは想像していませんでした。

 

 

そんなわけで、一睡もできずに豊洲市場へ向かい、そのままキッチンカー初陣を迎えたのでした。

 

浅草鮪組®︎は、何としても成功させなければならない仕事なのだとあらためて心に誓った春なのであります。