こんばんは❗
だるま母さんでメンタルコーチのIkkoです(*^^*)

今日は、私のだ~い好き❣️だった祖母、
さだおばあちゃんの命日です。
祖母が天国虹に逝ってしまってから、今日2020年7月14日で30年という月日が流れました。


明治生まれの祖母👵は、口数少なく、品があり、歳を重ねても薄化粧を毎日きちんとしていました。
薄くお粉をはたき、眉を描き、薄く紅を塗る。
子供心に、いくつになってもお洒落を忘れない女性は素敵だなって思って見ていました。

子供の頃、眠れない夜はそっと祖母の部屋の襖を開けます。
「おばあちゃん、寝られない…」

そうすると祖母はそっと起き出して、手作りの梅酒を薄めて私に飲ませてくれました。
美味しかったなぁ、梅酒。
そのあと安心して眠りにつくことが出来ました(*´ー`*)
(酔っ払ったからではないよ~😅)

祖母の作ってくれた物で、なんと言っても美味しかったのは<白菜の漬け物>
そして、上州名物<お切り込み>(場所によってはおっ切り込みとも言う)
うどんをこねて、のして、切って、その粉の付いたままの麺を用意してあった汁に入れて煮込むのです✨
あ、豚汁もすごく美味しかった!
祖母はよく「とんじる」と言っていたので、いまだに
「ぶた汁」なのか「とん汁」なのか区別がつかない私ですあせる
料理上手で、普段から着物を着こなし、白い割烹着を着て、いつも家族のために美味しい食事を作ってくれた優しい祖母の姿は、私の記憶の宝物ドキドキキラキラ

中学、高校になると、テスト前にうっかり寝込んでしまい慌てて夜中に「しまった~!!!ガーン」と起き出して勉強したりしていたのですが、トイレに起きた祖母が私の部屋の襖をそっと明け
「こんなに遅くまで勉強して、いっこちゃんは偉いねぇ」と誉めてくれたものでした😅
おばあちゃん、それ、嬉しい勘違いだから…チュー

お弁当箱を空にして帰ると
「お米を一粒も残さずにきれいに食べて、いっこちゃんは偉いねぇ」と嬉しそうにお弁当箱お弁当を洗ってくれました。
これは勘違いではないウインク

とにも、かくにも、こんな優しく控えめな大和撫子だった祖母と暮らせたことは、ものすごくありがたい事だったなぁと、最近しみじみ思います。

私がお嫁に行く日の朝、挨拶をしたらそっと涙を拭いていたさだおばあちゃん。
お見舞いに行ったら、つわりで顔色のよくない私を逆に気遣って、ベッドの中から痩せた手を伸ばして私のおでこをいいこいいこってさすってくれたさだおばあちゃん。

普段おとなしい祖母が、入院中に声を荒げて
「○男、○男、サンマが焼けたよ!早く来なっ!」と言っていたのにはビックリしました。
会えなくなっていた○男叔父のことを、気に病んでいたのでしょう。混沌とする意識のなかで、祖母の意識は子育て中の時代に戻って、○男叔父との再会を果たしていたのかもしれません。

亡くなる直前まで、自分の子供の事を心配していました。私は当時は妊婦でしたが、まだ母親としての気持ちがわからず、「おばあちゃん、お父さんやおじさん、おばさんたちはもう立派な大人なのだから、そんなに心配しなくても大丈夫なのに」と思ったものでした。
今ならよくわかります。祖母の気持ち。母親としての気持ち。
いくつになっても母は子供の事を案じている。
子供の幸せを願っている。

祖母がどんな思いをして生きてきたのか、
どんな苦労や悲しみを乗り越えて来たのか、
話を聞くことは出来ないけれど、
祖母の静かな微笑みから沢山の事を学ばせてもらっています。いまも。

さだおばあちゃん、大好き💕

たくさんの幸せをありがとう✨