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えっちゃん先生のあさくら古代史探訪

久留米地名研究会 井上悦文 のブログ

1、はじめに

 私は大学では社会福祉を専攻しましたが、卒業後は父の後継として書道家になり、日展評議員をされた故中村龍石氏に師事して仮名の、そして、父の井上蒼流に師事して漢字の研鑚をしました。そこで、約35年間の書道家の経験則から、陳寿の魏志倭人伝を含めた三国志の原本書体は草書体であろうこと、魏志倭人伝の固有名詞部分の誤字は草書体のくずしの誤写から発生していることに気付きました。そのことに基づき魏志倭人伝を読み解けば、そこに記された女王国の都の邪馬台国(写本には「邪馬壹國」と記載されるが、「壹」は「臺」の誤り、「邪」は「耶」の誤りと思われる)の場所は、決して畿内などではなく、北部九州の女王麻氐良国(アサクラ)の耶馬臺(ヤマダ)であることを解明しました。このことから、輩著の「草書体で解く邪馬台国の謎‐書道家が読む魏志倭人伝‐」(2013年9月25日発行、(株)梓書院)を出版し、そこに記しました。

私は、邪馬台国の謎を文字の観点から解明しました。すると、陳寿の魏志倭人伝を含めた三国志原本の書体は草書であったことが判明しました。そのことから謎が解明されて、耶馬臺国(ヤマダ国)は女王麻氐良国(アサクラ=天照国)の都だったことがわかりました。

 邪馬台国の名は江戸時代に発表され、今日までにたくさんの学者や研究者が謎の解明に取り組んできました。しかし現在なお謎が解明出来ず、結論に至っていません。邪馬台国の謎の解明には、魏志倭人伝の正しい解読が必要です。魏志倭人伝の本文は漢文の棒書きです。そして、固有名詞部分は読みに漢字を当てはめた「借字」ですが、そこに誤りの字が存在しています。

この誤りの字の原因は、度重なる書き写しのうちに生じた単なる文字の間違い、つまり「魚魯の間違い」と同じとされてきました。しかしそうではありません。三国志原本の書体について、一部には「篆書体」との異論もありましたが、大方は「楷書体」と勘違いをしてきました。それは、三国志の現存する写本が楷書体なので、原本の書体もきっとそうだと考えたからです。しかし真実はそうではありません。三国志原本の書体は草書であることが立証されました。

今日までの定説には、いくつもの誤りがあります。三国志原本書体の誤り、つまりは草書の殺字(くずし)の誤りであることに誰一人気づかなかったことが謎の原因でした。今後の邪馬台国論争は、原本書体の誤りと草書殺字の誤りを認識したうえで再構築すべきです。

 三国志原本の書体を草書と認知し、誤りの原因を草書の殺字と認識し、草書の殺字が同一もしくは酷似する殺字の別字と置換して読むことで、邪馬台国の謎は解明できます。今後の邪馬台国研究には、認識の改新と、漢字の文字学、特に草書の学習が求められます。これによって、今後は、邪馬台国の謎の解明が進むことになります。

 輩著の脱稿以後も引き続き邪馬台国や朝倉の古代史ならびに神社縁起等の調査等を続けてきました。その中で、執筆中に未確認であった事項が明確になってきました。このブログでは、それらを中心に、自身の日々の出来事なども含めて記したいと思っています。

 邪馬台国講演会や市民講座等あるいは久留米大学公開講座の講演内容等には、YouTubeで公開しているものがあります。そちらの録音録画等もご視聴ください。アクセス先は、「井上悦文」もしくは「久留米地名研究会」のホームページ等からご検索ください。また、輩著の「草書体で解く邪馬台国の謎‐書道家が読む魏志倭人伝‐」の購入をご希望の方は、出版元の「(株)梓書院」にお問い合わせください。