黒を黒と言えない環境で。

上記の続きである。

 

許田:先生は休職はいつごろからされていましたかね?

 

朝熊:昨年の8月からです。

 

許田:昨年の7月時点では直接のやりとりはできていたと?

 

朝熊:そうですね。その前にも有給休暇を使っておりました。

 

許田:はい。で先ほど亜壺先生からもあったですが、最初の論文のWebでの投稿作業は新浪先生がやられてたんですよね?

 

朝熊:全て。はい。

 

許田:あと、研究室のシステムなんですけども、科研費を取られて研究をやっていて先生の学生がついてますよね?

 

朝熊:はい。

 

許田:ですから、実験しているとき学生は新浪先生の直属の学生とは全く別にデータを出していたということで良いですか?

 

朝熊:はい、全く別です。

 

許田:研究をやっているときの助言とかお互いそういうのはありましたか?

 

朝熊:はい。研究報告会などでありました。

 

許田:まあ、同じ研究室ですけど研究内容は違うということですね。

 

 

 

以前の研究室は昔で言うところの講座制であった。

頂点に教授、その下に准教授や助教、学生。

研究者として独立するとはどういうことなのか?と考えさせられる。

 

 

独立した研究室を持った時か?独立した研究課題を持ち独自に研究費を獲得した時か?

私の場合は独自の研究を行い、独自に研究費を年間500万円以上獲得していた。

 

 

答えはわからないが教授の裁量にあることは間違いない。

研究の価値をどのように考えているのかによると私は思っている。

 

 

研究をするにはお金や設備はもちろん必要であるが「アイディア」や「実行力」も重要なキーとなる。

 

 

そのアイディアや実行力を全て責任者であるからと言って剥奪していいものだろうか?

 

 

若手研究者を育てるのであれば、その研究が若手研究者自身でこじ開けたものであるのなら、積極的に責任著者として論文を執筆させるべきであると私は考える。

 

 

そうでなければ責任者としての意識も自立するための研究力も身に付かないように今の自分には思える。

 

 

あとは、私の発言力の無さ、自信の無さは情けないものであったと反省している。

自分を大切にできていなかったと。