新しいヤヤさんも決定、ようやく元の生活が始まる❣と思っていた3月の頭、コロナの影響がフィリピンでも増してきました。

 

時系列で見ると、

 

3月9日:3/9から3/14までの学校の休校決定。

 

3月12日:習い事休校決定、学校の休校4/12まで延長決定。コミュニティ検疫(Community quarantine)開始。

 

3月15日:強化されたコミュニティ検疫に移行し、事実上のロックダウン状態。生活に必要なもの以外の外出制限、リモートワークの要請。

 

3月16日:すべての交通機関(バス、電車、タクシー、ジープニー、Grab、アンカス、トライシクル等)の停止が決定。企業の出勤停止。

 

3月17日:夫の会社から一時帰国命令。

 

3月19日:深夜便で出国、翌日の20日に帰国。

 

 

3月12日の検疫開始前にドゥテルテ大統領のライブ会見があったのですが、その前に皆さんロックダウンを予想してスーパーでパニックBuy🤯が始まり。買い物は自由に行けて、会社も休みにならなかったけれど、その後、どんどん強化されて出勤停止に。リモートワークが出来る仕事、リモートに移行出来た仕事はまだいいけれど(もちろんその裏に経営者やマネージメント層の強力なリーダーシップと決断力、リモート環境を整えるための多大な努力があってこそと理解しています)、リモート出来ない仕事や交通機関の方々は、事実上のビジネス停止状態になりました。あと、家の近くに大き通りがいくつかあるので、毎晩夜遅くまでクラクションや救急車の音が本当にうるさかったのですが、ぴったりと騒音がなくなりました。朝もうるさくて目をさます事が多かったのだけど、すっかり静かに。まるで違う街にいるような感覚。

 

私たち家族も、マニラに残りつもりで備蓄や、家で出来る遊びの工夫等を始めていた所、急な帰国命令。正直これもパニックに。実家には60代後半の両親がいるし、実母は祖母の介護で週に数回祖母の元に通っている。もし自分が感染していたらどうしよう。高齢のお祖母ちゃんにうつすリスクは計り知れない。そんな事もあり、夫の会社からはホテルでの2週間自己隔離命令。尚、その時点で日本の政府は中韓、イタリア、イランなどからの帰国者には隔離を要請していましたが、フィリピンを含むアジアの国に対しては何もしていませんでした。

 

19日は家を大掃除して、野菜系は残る家族に引き取ってもらい、出国。コミュニティ隔離が始まって初めて車で移動しましたが、マニラの大動脈エドサがめちゃくちゃすいていました。いつもは5キロの移動にも1時間弱、交通渋滞の大本になっているような通りですが、様相ががらっと変わっておりました。空港まではチェックポイントも特になく、いつもは1時間以上かかるところを30分弱で到着。空港の中に入るのも、予想していたよりはかからず、30分程度で中に入れました。航空会社のカウンターで荷物を預け、いざ税関に。いよいよ出国です。

 

ここで大問題が…。簡単に言うと、夫がACRカード更新中でカードを保持していなかったんですけど、エージェントから出国可能といわれていたのですが、イミグレで止められて結果的には出国できず。本当に急に娘と二人で帰国になってしまったんです。マニラを23時45分に出発する深夜便、羽田に早朝4時20分頃着に、一人でのせる事に…💦 本当はホテルに家族で自主的に2週間籠るつもりでしたが(3/19時点でフィリピンからの帰国者は隔離要請は政府から出ていませんでした)、子供と二人っきりでホテルにいるのは非常に厳しかったので急遽実家にお世話になる事になりました。

 

情報収集はTwitterが一番早い。でもフェイクニュースや裏付けのない情報もあるので情報を読む力が大事だなーと実感。CNNフィリピンやRapplerを主に参考にしていました。