実録から抽出した謁見などのデータをもとに昭和天皇像を分析した「データでみる実録」の戦後編の結果は、戦前、戦中とはまったく様相を異にする。
戦後は、大臣や大使らの任命式を前にした首相らの内奏、国会開閉会にあたっての衆参両院議長の謁見など「象徴天皇」としての定例公務が多いほか、私的な植物研究に関わる学者らとの接触も目立っている。
日米安保条約改定の昭和35年から東京五輪開催の39年までの5年間でみると、最も面会が多かったのは、静養中の那須(栃木県)で連日、研究をともに行った植物学者。37年には共同調査記録「那須の植物」を出版しており、上位10人のうち4人を植物学者が占めた。日本国憲法の下で、天皇の位置づけが戦前から一変したことが感じられる。
政治家らの謁見は行事などに関係したものが大半だが、35年には、改定を控えた日米安保条約について岸信介首相が1カ月間に2度説明。個人名でのカウントはできないが、外務省の幹部官僚が外交事情について毎年20回前後の定例進講を行っており、中ソ関係など国際情勢も幅広く把握していた。五輪開催を控え、東京都の東龍太郎知事の謁見も目立った。