【温故地震】越後高田の地震(1751年) 海底の隆起で陸地が誕生 都司嘉宣 | 毎日のニュース

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 江戸時代中期の宝暦元(1751)年4月26日、新潟県西部の越後(えちご)高田(現上越市)付近を震源として、マグニチュード(M)7・0~7・4の直下型地震が起きた。死者数は約2千人と推定されている。

 この地震で、海岸沿いに延びる街道・北陸道は、大規模な山崩れがあちこちで起き寸断された。その被害域は、上越市虫生岩戸(むしゅういわと)の岩戸川河口から同県糸魚川市筒石まで約14キロに及んだ。

 被害域で最大の集落が名立(なだち)だったことから、「名立崩れ」と呼ばれるこの大災害の様子は、「越後国頸城(くびき)郡高田領往還破損所絵図」に生々しく描かれている。

 海岸沿いの街道は至るところで崩壊、土砂を海へ押し流した。絵図で人的被害が目立ったのは虫生村(現上越市虫生岩戸)だった。約360メートルにわたり海岸線が崩れ、街道から約360メートル離れた沖合まで土砂で埋まった。村内全15戸は土砂にのまれ、村民90人のうち69人が死亡したという。

 崩壊した海岸線の長さと、街道から沖合へ土砂が押し流された長さが記されている場所は9カ所あり、崩れた海岸の距離は絵図上だけで計3848メートルに及んだ。