■第70回 宇多天皇(867~931年) 藤原胤子(?~896年)
歴代天皇の中でたった一人、「臣下」から天皇になった人物がいる。平安時代の宇多天皇だ。どうして、そのようなことが起こったのだろう。
きっかけは元慶(がんぎょう)8(884)年2月、父・光孝(こうこう)天皇が思いがけず位に就いたことである。父帝は仁明(にんみょう)天皇の第3皇子で、皇位からはるかに遠い存在でしかなかった。ところが、16歳の陽成(ようぜい)天皇がけんかの末に乳兄弟を殺害するという不祥事を起こして退位に追い込まれ、後継者とされたのだ。
当時の朝廷の実力者は、摂政・藤原基経(もとつね)だった。若い陽成天皇との関係はぎくしゃくしており、一方で光孝天皇とは母親同士が姉妹だったことも、大きかったようである。
光孝天皇は即位したとき、すでに55歳の高齢に達していた。「中継ぎ」を自認し、自分の皇子や内親王(ないしんのう)を臣籍に降下させた。第7皇子の宇多天皇もその一人で、源定省(みなもとのさだみ)と名乗り、天皇の侍従をつとめていた。