生かせなかった皇室保持シグナル 謀略警戒、遅れた終戦決断 | 毎日のニュース

毎日のニュース

今日の出来事をニュース配信中!

 英国立公文書館で見つかった当時の中立国アイルランドとアフガニスタンから打たれた電報は、あらゆるチャンネルを通じて米国が「皇室(天皇制)存続を認める」シグナルを日本に送ろうとしたことを示している。皇室存続が伝えられながら本土決戦を唱える軍部の抵抗で降伏(ポツダム宣言正式受諾)をしぶり、犠牲者を増やした日本の指導層の判断が改めて問われそうだ。(編集委員 岡部伸)

                   ◇

 ◆MI5副長官日記

 英国立公文書館所蔵のガイ・リッデルMI5(英情報局保安部)副長官日記の1945年(分類番号KV4/466)8月5日にこんな記述がある。

 「スイスで日本は、ヤコブセン国際決済銀行顧問を通じ、ダレス米戦略情報局(OSS)欧州総局長と試験的和平交渉を始めたが、米国は無条件降伏に固執しながら、必ずしも皇室廃止を含んではないとの多くのヒントを投げかけている」

 実際に米国は、ドイツ降伏後の同年5月8日から8月4日まで14回にわたり、ザカリアス大佐が「無条件降伏まで、攻撃をやめないが、無条件降伏とは日本国民の絶滅や奴隷化ではない」「主権は維持される」などと無条件降伏の条件緩和、つまり天皇制存続を認める可能性があることを短波放送で伝えた。

 しかし、日本は、これを「謀略」と受け止め、米英は無条件降伏以外受け入れず、それは「国体」存亡の危機につながる、と思い込んでいた。東郷茂徳外相も「無条件以上の媾(講)和に導き得る外国ありとせば『ソ』連なるべし」(「時代の一面 東郷茂徳外交手記」)とむやみにソ連頼みの和平工作にのめり込んだ。