■江戸の昔の精神はいま…
「町あつく振舞水(ふるまいみず)の埃(ほこり)かな」(黒柳召波(しょうは))。召波は江戸中期の俳人で、与謝蕪村の最も熱心な門下だった。彼が45歳の若さで没すると、蕪村が「わが俳諧西せり」(私の俳諧も滅んでしまった)と嘆いた話はよく知られている。
句中の「振舞水」は、「接待水」とも呼ばれ、夏の季語となっている。現代なら道を歩いていて喉が渇いても、喫茶店に飛び込むなりコンビニで飲み物を買うなりして、どうにでも渇きを癒やせる。街では至る所に飲料の自動販売機もあろう。
これが江戸の昔だったら、人々はさぞや困ったに違いないとは誰しも思うところだが、実際には、道行く人は水の振る舞いにありつけたのである。
商店や家の門口などに飲料水を満たした桶(おけ)や樽(たる)が置かれ、柄杓(ひしゃく)と茶碗(ちゃわん)も添えられて通行人は自由に飲むことができた。これが接待水だ。幕末に日本を訪れた外国人は、このような思いやりあふれる慣行に心を打たれたそうである。
もちろん今では接待水は一般に見られなくなったが、残念なのは、接待水の精神ともいうべき「接待」の本義までが失われてしまったことである。