【国語逍遥(48)】「接待」 江戸の昔の精神、2020年によみがえれ | 毎日のニュース

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 ■江戸の昔の精神はいま…

 「町あつく振舞水(ふるまいみず)の埃(ほこり)かな」(黒柳召波(しょうは))。召波は江戸中期の俳人で、与謝蕪村の最も熱心な門下だった。彼が45歳の若さで没すると、蕪村が「わが俳諧西せり」(私の俳諧も滅んでしまった)と嘆いた話はよく知られている。

 句中の「振舞水」は、「接待水」とも呼ばれ、夏の季語となっている。現代なら道を歩いていて喉が渇いても、喫茶店に飛び込むなりコンビニで飲み物を買うなりして、どうにでも渇きを癒やせる。街では至る所に飲料の自動販売機もあろう。

 これが江戸の昔だったら、人々はさぞや困ったに違いないとは誰しも思うところだが、実際には、道行く人は水の振る舞いにありつけたのである。

 商店や家の門口などに飲料水を満たした桶(おけ)や樽(たる)が置かれ、柄杓(ひしゃく)と茶碗(ちゃわん)も添えられて通行人は自由に飲むことができた。これが接待水だ。幕末に日本を訪れた外国人は、このような思いやりあふれる慣行に心を打たれたそうである。

 もちろん今では接待水は一般に見られなくなったが、残念なのは、接待水の精神ともいうべき「接待」の本義までが失われてしまったことである。