前回まで富士通の動きを追ってきたが、日本語ワープロという商品を最初に世の中に出したのは東芝で、その「JW-10」は、富士通が親指シフトキーボードを試作発表する8カ月前の昭和53年9月に発表された。机と一体型で、値段は630万円。開発を率いたのは、後にワープロの生みの親として文化功労者に選ばれた森健一さん(75)だ。
東芝の研究所にいた森さんのチームがワープロ開発に成功した経緯は、NHK「プロジェクトX」などで何度も紹介されている。森さんへの取材では、この企画のテーマである「デジ書き」-日本人の多くが手書きよりデジタル機器で文章を書くようになっていること-について考えを聞いてみた。すると、やや意外な答えが返ってきた。
「キーボードとかな漢字変換は、記録を取ったり文章を書くために大変役に立っています。でも、人と人とのコミュニケーションがあれだけで行われているのは、おかしいですよ。電車でみんながスマートフォンをいじっているという光景も、コミュニケーションとしていびつだと思います」
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昭和46年、手書きの漢字を機械に認識させる技術の研究をしていた森さんは、この技術の活用方法について企業や役所の人々にアイデアと要望を聞いて回った。通産省(当時)のある室長は、「書類を読み取ってくれるのはありがたいけれど…」と机上の書類の山を見ながら、こう続けた。