「もう沈んでしまう…」
韓国の旅客船《世越(セウォル)号/総トン数6825トン》が黄海で転覆した4月16日、68歳のベテラン船長と乗組員約30人のほとんどがこう怯え、今しかないと乗客を見捨てて我先に逃げ出した。結果、300人以上が死亡か安否不明となった。許されない…が、職業への誇りや意識を欠いた「醜悪な行い」は韓国人に限らない。現在の日本でも起こり得る。半面、どの国にも、いつの世にも、自己犠牲を厭わぬ「英雄」がいる。多くは歴史を素通りしただけの、名もなき人々だが、語り継ぐことで「醜悪な行い」に歯止めはかかる。事故現場北方の同じ黄海で120年ほど前、弱冠18歳の日本男児が最後まで任務を全うし、こう問うて短い生涯を終えた。
「まだ沈みませんか…」
黄海海戦で示した愛国心
明治二十七八年戦役(日清戦争)中の1894年9月17日、大日本帝國海軍聯合艦隊旗艦の防護巡洋艦《松島/常備排水量4278トン》は、清國海軍・北洋艦隊所属で東洋一の堅艦と恐れられた《鎮遠/常備排水量7220トン》の巨砲弾を受け、乗組員96人の死傷者を出す。戦史に名高い《黄海=鴨緑江海戦》である。
血だるまで横たわる三等水兵・三浦虎次郎(1875~94年)も戦死する28人の一人となる。三浦は通り掛かった松島副長に、北洋艦隊旗艦で鎮遠の同型艦《定遠/常備排水量7144トン》が沈んだかを「声をしぼりて」(佐佐木信綱作詞の軍歌・勇敢なる水兵の一節)尋ねた。副長が戦闘不能に陥った旨を説明すると「微笑を漏らしつつ 息絶えた」という。