東日本大震災の巨大地震を予測できなかった日本の地震学。「敗北」を認め、身の丈に合った姿を社会に伝えようと、もがいてきた。減災に役立つ研究が求められる中で、地震学者は再起への道を歩み始めている。(黒田悠希)
残った「看板」
「名称は変更しない」。想定外だった大震災の反省に立ち、名称の見直しを検討していた地震予知連絡会は2月中旬、予知の看板を下ろさないことを決めた。
マグニチュード(M)9の巨大地震は日本では起きないというのが地震学者の常識だった。東北の太平洋沖に巨大なエネルギーが潜んでいたことを誰も見抜けず、未曽有の津波被害に言葉を失った。地殻変動のデータ分析では、東海地震の予知の根拠である「前兆滑り」という現象を検出できなかった。長期的な発生予測に失敗し、直前予知も困難という「完敗」だった。
国は昨年5月、東海地震を含む南海トラフの地震について、予知は困難とする報告書を公表。来年度から5年間の地震研究計画の名称でも、昭和40年から続いていた「予知」の文字が消えた。できないことを、ありのままに伝える“等身大”の姿勢が強まった。しかし、地震学者らで構成する予知連は、別の道を選んだ。「予知に挑む姿勢まで放棄するわけにはいかない」。会長の平原和朗京都大教授(61)は「予知を諦めてはいけない」と強調する。
、「学者のサロン」と揶揄されることもある地震予知連