キホーテの愛読した騎士道物語ならば、窮地に陥った騎士には必ず救いの手が差しのべられる。キホーテは自分と同じような窮地に立たされた騎士の物語を思いだし、その中の台詞(せりふ)を弱々しく唱えだした。すると、幸運にもキホーテの近所に住む農夫が通りかかったのだ。信じる者は救われる…。
農夫の騾馬(らば)に乗せられ、キホーテは自分の村へ向かう。道中、騎士道物語と現実が区別できなくなったキホーテの妄想を聞かされ続けた農夫は、ついに我慢できず《ああ、なんてこった。しっかりしてくださいよ、旦那様…(あなたは)立派な郷士のキハーナ様ですよ》と言う。すると、キホーテはこう応じるのである。
《わしは自分が何者であるか、よく存じておる》
何げないが、きわめて謎の深い言葉である。情熱の哲学者ミゲル・デ・ウナムーノはこれを「自分がどういう者でありたいかを承知している」と解釈する。キホーテは、「天命に従って自分の生を生ききる者になりたい」と思い、そのことを承知しているということだろう(これは私のおぼつかない解釈にすぎません)。
加えて《まさに人間以上のものたらんと欲するときだけ、人間は本来的な人間なのである》というウナムーノの言葉に従えば、キホーテこそが本来的な人間であり、正気を失った彼を笑う人々は、人生の本質を知らぬ哀れな存在にすぎないのだ。ああ、柄にもなく堅くなってしまった。(桑原聡)