【被災地から 東日本大震災】雪多い会津、3度目の冬 避難した福島県大熊町民ら | 毎日のニュース

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 東日本大震災からまもなく3年。東電福島第1原発が立地する福島県大熊町は原発事故以降、全町民の避難生活が続いている。このうち人口の約2割、2500人ほどは、雪が多い会津地方の仮設住宅や借り上げ住宅などに入居。福島県の海岸線沿いの「浜通り」地方にはない、過酷な3度目の冬を迎えている。

 大熊町から西へ直線距離で約100キロ。福島県会津若松市の長原仮設住宅では同町の107世帯、194人(昨年末現在)が暮らす。「今年は雪が多くなくて朝の除雪も楽だよ」。同仮設住宅自治会長の斎藤重征さん(69)はホッとした様子で話す。

 しかし、入居者には高齢者も多く2年半を超える仮設暮らしでは孤独死もあった。会津地方を後にする被災者が相次ぎ、この仮設住宅でも30世帯ほどが転居。今では空き部屋が目立つ。「仕事や家を求め、いわきや郡山などへ移っていく。浜通りで育った私たちには寒さや大雪がつらいから…」(斎藤さん)という。

 会津若松市内の閉鎖された小学校を利用して再開した大熊町立の大野、熊町両小学校も児童数は再開当初の約半分、計168人に減少。大野小の渡辺義人校長(50)は「七夕の短冊に『離ればなれの友達と遊びたい』と書いた子供もいた。年1回、児童が集まる催しもあるが寂しいのでしょう」と話す。

 町では平成30年の帰還開始を目指す。が、昨年10月の町民アンケートでは回答者の7割近くが「町に戻らない」と答えた。30歳未満の若年層では8割に及び、放射線の子供への影響を懸念する声が目立った。仮設住宅や借り上げ住宅に住む町民たちは今後、復興公営住宅に移転するが、そこも仮住まい。避難生活を余儀なくされた人たちが落ち着いて暮らせるめどは、まだ立っていない。(写真報道局 早坂洋祐)