一人でいると、ときどき考える。僕、なんで仮設にいるんだろう。なぜ、僕は生きているんだろう。
東日本大震災で752人が犠牲になった宮城県名取市の閖(ゆり)上(あげ)地区で自宅を流され、市内の仮設住宅で暮らす市立小3年、桜井舜(しゅん)士(じ)君(9)は今も、やり場のない思いにとらわれる。
震災の日、幼稚園の卒園式だった。一緒に小学校へ上がるはずだった友達や、お世話になった先生が津波にのまれ帰らなかった。しばらくたって自宅を見に行った。雑草だけが生い茂っていた。父親に「ここだよ」と言われ、問い返した。「本当にここなの?」
一家3人での仮設暮らし。テレビのある居間で食事をし、勉強机は夕飯後のこたつ。そのまま寝室になる。雑然とした生活の中で、忘れ物も増えた。
「上ぐつとかぞうきん。友達もみんな、消しゴムとかペンを忘れてくる」
本も全て流された。流し台のそばの整理箱には、震災後に買った学習絵本などが十数冊だけ並んでいた。