【産経抄】7月11日 | 毎日のニュース

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 福島第1原発事故の発生から5日目の早朝だった。現場で不眠不休の作業の陣頭指揮をとっていた当時の吉田昌郎(まさお)所長は突然、座っていた椅子から立ち上がり、床にあぐらをかいて頭(こうべ)を垂れた。

 ▼「私はあの時、自分と一緒に“死んでくれる”人間の顔を思い浮かべていたんです」。『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)の著者、門田隆将(りゅうしょう)さんの取材に答えている。その吉田さんが9日、食道がんのために58歳の生涯を終えた。

 ▼門田さんはテレビ番組で、「戦死」と表現していた。確かに病に倒れて所長を辞するまでの日々は、所員や自衛隊員、消防隊員とともに「日本」を守るための闘いの連続だった。原子炉を冷やすための海水注入の問題では、現場を知らない東電本店や官邸が“敵”となった。

 ▼何より戦後68年、日本がさまざまな危機に見舞われたとはいえ、これほど過酷な決断を迫られたリーダーを他に知らない。戦争関連の著作も多い門田さんは吉田さんに、絶望的な戦場で部下を鼓舞する指揮官の、悲壮な姿を重ねたのかもしれない。

 ▼『死の淵を見た男』によれば、菅直人首相が東電本店に乗り込んできたのは、ちょうど吉田さんが自分と仲間たちの「死」を考え続けていたころだ。「撤退したら、東電は百パーセントつぶれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ!」。テレビ会議で言い放つ首相に、吉田さんは背を向けてすっくと立ち上がり、「ズボンを下ろし、パンツを出してシャツを入れなおした」という。

 ▼東工大の先輩でもある首相への、無言の抗議だったのか。一方で、東電本店の部長時代、津波対策に消極的だったとの指摘もある。吉田さんが書きかけていたという、回想録を読みたかった。