母に乳がんをいつ、どこで、どう告げるかを考え続けた。結局、母と私の兄弟と一緒に聞いてもらうのが一番いいのではないかと思いついた。
診断を受けた2週間後、弟と妹夫婦に生家へ集まってもらうよう声をかけた。電話で「大事な話があるから」と話し、私は母と帰省した。一面にコスモスが咲いていた。
私の生家は古民家で、藁ぶき屋根を残し赤いトタンを被せてある。弟が退職後にコツコツと大改修し、夏には親族が別荘代わりに集まる。誰もが認める“田舎”である。母が元気な頃は、一人で電車やバスに乗り野菜を作りに通っていた。
乳がん告知は、夕食の後にと考えていた。弟夫婦がご馳走を作ってくれる。妹夫婦も近くに住んでおりやってきた。その孫3人のちびっこは天井から下がった縄梯子を登って大はしゃぎしている。
妹は、大事な話は気になるから食べる前にして欲しいという。
それはそうだ・・・。高齢者の大事な話は、病気くらいしかないものね。
「実は乳がんになって・・・」と切り出した。
「えー!まさか!」
妹の表情が変わった。
母は、
「もう年じゃけー、何が起こってもしょうがないよ」
と、いい切った!
冷静な切り返しだった。
年の功・・・、私の心配し過ぎ? 杞憂だったのか・・・。
私は家族に甘え続けている長女で、弟妹夫婦は“いい人”である。私が幼子を連れ母子家庭になって以来、子供を預かってくれたり相談にのり、米や野菜を送ってくれたりと支え続けてくれている。今回の乳がん告知もみんなから「大丈夫よー」と言われながら、ご馳走になった。
翌日、安心して母と車で帰宅した。途中で母は、
「ゆうべK子さん(嫁)が、“お義母さん大丈夫だから心配せんでもいいから”と部屋に来て言ってくれた」と、何度も私に話した。
◎ 古民家に集いて母にがんを告げ
◎ 面倒はみんなで看るから大丈夫