コメントお返しする前の投稿
失礼します。
またゆっくりとお返事します。
*
昨日、1月29日は
譲の出産予定日だった日でした。
月命日が来るたび生後○ヶ月の譲を
想像しようとしますが、
とても小さく産まれたから
なかなかうまく想像できません。
だけど3000gくらいに成長した
譲の姿は想像力を振り絞って
なんとなく思い浮かべることが
できる気がします。
何度も何度も想像しています。
大きくなった譲を見たかった。
本当はそこまでは
大きくなれるはずだったのに
途中で諦めることを決めた私が
そんなふうに思っちゃ
いけないんだろうな。
予定日が近づけば近づくほど
人工死産という選択が正しかったのか
考えてばかりの自分が居ました。
もしも妊娠継続していたら
今頃は…
産声が聞けないとしたって
あの日よりはるかにずっしりとした
重みを感じ、譲の意志で
お空に行かせてあげられたのかな。
実際に譲が産まれたのは
9月15日なんだから
予定日だった日なんて関係ない
そう言い聞かせたって
予定日を気にしてばかりの
最近でした。
譲の胎児異常が分かった時医師は、
「赤ちゃんの命は
助けてあげることができません」
とはっきりと言いました。
その言葉を言い訳にして私は
人工死産という選択を
正当化しているのかもしれません。
障害があっても
生きてくれるのならば
途中で諦めずに産みたかった。
そう思っています。
だけどもしも
命が助かるかどうか分からない
助かっても障害が残るかもしれない
そう言われていたら…
実際にそうなってみなくては
自分がどんな選択をするかは
分かりません。
障害を受け入れて子育てをする
ということは
想像できないくらいの
覚悟が必要なのだと思います。
助けられないと言った医師の言葉を
私は簡単に信じてしまいました。
あの時、もっと譲を信じて
あげていたら何か違っていたのかな。
譲はもっとお腹に居たかった?
それとも へその緒が短くて
お腹も背骨も痛くて苦しくて
早く外へ出たかった?
教えて欲しかった。
一生問い続けるのだと思う。
そして人工死産したことが
正解だったのかどうか
一生悩み続けるのだと思う。
正解も不正解も
きっとないのだろうけれど。
予定日だった日までに妊娠する自分を
想像してばかりいました。
予定日だった日を新しい命と一緒に
迎えることができれば
人工死産を選択したこと
少しでも肯定できるような気がして。
だから予定日までに妊娠しなくちゃ
って自分を追い込んでいたのかも
しれません。
でも、叶わなかった。
単純に早く私たちの元へ
赤ちゃんが来て欲しいという気持ちも
もちろんあるけれど
それだけでないなんて
自分勝手な話です。
だけどほんの少し
自分で作ってしまったプレッシャー
から解き放たれたのかな。
(生理が来ればやっぱり落ち込むのだろうけど)
そして、もし妊娠継続していたら
今このブログは初めてなかったかも
しれないし
今出会うことが出来てる天使ママの
みなさんにも
出会えていなかったかもしれない。
そう思うと、
少し気持ちが楽になります。
私は自分で決めた現実を
確かに生きている。
間違ったんじゃないかって
後ろを振り向いたって決して
戻ってやり直すことはできません。
何度も立ち止まって
振り向いてばかりの私を
小さな小さな譲が一生懸命
背中を押してくれている
(コメントで頂いた言葉をお借りしました)
そう思うと前を向いて歩けそうな
気がしてきます。
予定日だった日を境目に
何が変わるわけでもないけど
支えてくれてる天使ママさん
それから譲とダンナに感謝して
今日からも歩いて行かなくちゃね。
*
あさ
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