タイトル通りの話です。



これは商売戦略上でもよく使われる手法なのですが、特定の情報を検索して探していき、自分が納得できる、腑に落ちる情報に突き当たると、人はこの突き止めた情報を無防備に信じてしまいやすい性質があります。



この特性を利用して、検索の少し深いところにそう言った情報を配置しておき、さらにもう少し深く進むと特定商品に行き着くようにデータを配置しておくのです。



すると最終的にその商品に辿り着いた人は、かなりの確率で商品購入に至るという商法です。



誘導されたのに気づかず、「私は価値ある情報に辿り着いた!」と誤認してしまうのです。



ここまでではないにせよ、いろいろな情報に接したり、ある事柄を検索していると、同じような状態になることがあります。



自ら進んで探していって発見した情報を、人は無防備に信じてしまいやすいのです。



普段さまざまな広告や情報に接していても、人は滅多にそんな情報を信じたりしません。それは、「向こうからやってくる情報にはろくなものがない」ということを、経験則で知っているからです。



ところが自分で調べて辿り着いた情報は、かなり簡単に信用してしまい、時には深刻な洗脳をされてしまうことさえあるのです。



陰謀論などを強固に信じてしまうなどの事案も、このタイプが多いようです。自分で調べれば調べるほど、「そうだったのか、やっぱりそうだったのか」と納得してしまい、疑うこともできなくなっていってしまうのです。



そもそも物事には、学校のお勉強のようなただひとつの正解なんてものはありません。コインには裏と表があるのに、表面だけを見て、コレがコインの真実だと思うことは良くあることなのです。



ワクチン陰謀論もそうでしょう。そもそもワクチンなんて元々闇の部分があり、ワクチン打たなきゃ生存できない1000人を生存させるために、副作用で新たに1人くらい○んでも仕方がないという考えに立っています。



ワクチン打った方が悪いガチャを引きづらいですよってくらいのものなのです。






正義でもなんでもなく、単純に数学的な確率論の話です。最終的により多くの人が生き残れば、それで良いという考え方です。



もう、陰謀論が入り込む余地だらけです。



コロナワクチンの陰謀論を知っている人の中で、信じている人とどちらとも言えないと迷っている人の割合は40%にも及ぶそうです。



東日本大震災は人工地震だなんて話もありましたね。



興味を持った人が自分で検索しているうちに、突き当たった情報を、ファクトチェックもせずに信じてしまうんでしょう。



冷静にいきましょう。真実はひとつなんて思わずに、今見ている情報は、山のようにある真実のひとつなんだという視点を失わないようにしましょう。



日々生きていくという、いわば正解のない迷路を、私たちはさまざまな決断をして生きていかなくてはいけません。



正解なんてない。



この視点が大切です。人の言葉にもちゃんと耳を傾けて、自分なりのベターを探して生きていきましょう。



もがき苦しんだって正解なんてないんです。でも日々さまざまなことを決断しなくてはならない。



そんな時は何かを闇雲に信じれば気は楽になるでしょう。でもそれは逃げでしかありません。



その苦しみから逃げることなく、多くの人の声を聴いて、時には自分と反対の人の意見にも耳を傾けて、きちんと自分なりの決断をしていきましょう。



盲信は危険です。



なんだか重い話になったなw



ではでは。