大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)記念館。
三重県鈴鹿市の近鉄・伊勢若松駅から南へ1.1km。
江戸時代の1772年、
米などを積んで伊勢の白子浦を出帆した神昌丸は
暴風雨のため遭難し7ヵ月漂流して、
ロシア領のアリューシャン列島アムチトカ島に流れ着く。
船頭・大黒屋光太夫ほか16名は
病気で多くの仲間を亡くしたが、
ロシア語を覚えて生き延び、
帰国の許可をもらうためロシア本土に渡り、
ヤクーツクで出会った大学教授キリル・ラクスマンの助けで、
首都ペテルブルグに行って女帝エカテリーナ二世から
帰国を許される。
1792年、10年ぶりで帰国した光太夫ほか1人は
幕府の取調べを受けた後、
江戸に定住させられて、
人々に西洋の情報を伝えて大きな影響を与えた。
大黒屋光太夫の物語は、小説、映画になり、
まんが「風雲児たち」を原作として歌舞伎にも取り上げられた。